子別れの通しにシビれるの巻|今松ひとり会(その23)

この人を聞きたい(第142回)
今松ひとり会(その23)

柳家小はぜ 加賀の千代
むかし家今松 雁風呂
〜仲入り
むかし家今松 子別れ(通し)

新宿無可有
20220609


こちらは、マガジン『メモログ』の記事です。

『メモログ』は、自分のための感想覚書を蓄積するために作成したもので、ひとさまに読まれることを前提としていません。そのため、文章の体裁が整っていなかったり、構成がめちゃめちゃだったりします。
それから、ネタバレにも気持ち程度にしか配慮していません。

ご覧くださる奇特なかたは、どうかもろもろ悪しからずご了承ください。


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のこのこと落語会にお邪魔する割には、なんとなくまだ楽しく感想を書きたい!という気分にはならないのだけれど。7月8日直後の落語会が今松師匠であったのは、わたしにとって、なんともいえない僥倖だったと思う。
わたしは師匠の高座を聴き始めて日が浅い……というかまだ数えるほどしか聴きに行けていないので、あの皮肉を織りまぜた社会批評を、毎度どこまでが本気なんだろな〜なんて思いながら聞いている。飄々としながら、スッと痛いところを突いてくるのは、(ご本人もおっしゃっていたように)ある種の諦観からくるものでもあるのだろうか。
いつもなら、ニヤリと不敵な笑みを浮かべながらお話になる今松師匠にスッとするところもあるのだけど、今日ばかりは、あのエッジの効いた皮肉を苦々しい気持ちとともに思い返している。

なにはさておき、落語である。

開口一番は小はぜさん。この会は交代で小はぜさんが顔付されているのも嬉しいのだ。

「加賀の千代」を小はぜさんで聴くのは初めて。
最近はご隠居の甚兵衛さん好きがおかしな方向に暴走しているタイプの演者さんを聴くことが多かったので(それももちろん好き)、久しぶりに折り目正しい「加賀の千代」を聴いた心もち。

このご隠居さんは、甚兵衛さんならなんでも好き!とかどこか珍獣を愛でる心もちとかではなくて、あくまでも甚兵衛さんが肚に抱えていることをそのまま話してしまう正直な人だから好きで、あまり「好き」も垂れ流さないんだね。品を失わないご隠居さん。

個人的に好きなのは、ご隠居さんのびっくりしぐさ。小はぜさんの描く人物は挙動がじつに写実的だなあとわたしは思っているのだけど、そんな、いわゆる巧い人の「下手な演技」(落語的には演技って言っちゃうとちがうのかな?)を見れて、とても得した気分。大げさびっくり、かわいいね。

「雁風呂」は先日雲助師匠版を聴いたので、今回が二回目。
黄門様が諸国を漫遊していたというのは明治になってから作られたものだという色々な根拠をお話しになりながら、漫遊譚を。笑

一度聞いているはずなのに、ザル耳のため、ああそうそうこういう噺だったな〜と復習しながら。今松師匠が話していると、「ほんとかなあ?」とわたしのなかで半信半疑が顔を現すのはなんでなのだろう。流れも知っているはずなのにな。笑


仲入り後は、お弔いの話から「強飯の女郎買い」へ。さすがにこれでお開きではないだろうなと思っていたら、やっぱり「子別れ」を通しでやってくださった……!

実はわたし、「子別れ」を通しで聴くのは初めて。

今松師匠の「子別れ」は、子どもの亀ちゃんに重点を置いているのかしら。
その存在だけでも夫婦の鎹になる亀ちゃん。今松師匠の亀ちゃんが言葉遣いのこまっちゃくれだけでなく、精神的にも大人びていたように感じたのは、〈上〉の場面から聞いたのもあるのだろうか。

個人的にはおや?亀ちゃんたまに中学生くらいに聞こえるな…?と思ったりもしたんだけど(ごめんなさいw)、追い出されるときには一人前におっかさんをかばい守ろうとし、うなぎ屋さんで三人揃っての再会も、目に涙を溜めながら、短くはあるが学校で教わった言葉までつかって、なんとか元の通り家族三人で暮らしたいと説いている。

この、「学校の先生が言っていた言葉」というのがニクい。きっと先生の話を聞いたときに、家族のことをいの一番に思い出したから、この大事な場面で咄嗟にでてくるのだろうな。亀ちゃんの心のなかには、ずっと、おとっつぁんとおっかぁの三人暮らしがあったんだね。

そして、げんのうは亀ちゃんが家を追い出されるときに荷物にこっそり忍ばせたともわかるのも、またニクい。追い出されるときにはおっかぁを守っておとっつぁんに悪態をついていたけど、おとっつぁんのこともちゃんと好きだったんだ……。
今松師匠…ニクい……。

子どもというのは自然、鎹の役割を負っていますという流れではなく、亀ちゃんがより自主的にその役を買って出ているのが、子どもへの配慮があるように感じられて、好きだなあ。

そうそう。大人びたといえば、近所の子どもに殴られたことを話すくだり、亀ちゃんの泣いている姿を描写しないの。熊さんと亀ちゃんの再会場面は、あまりウェットにしていない印象。
これ、何も非がないおかみさんを追い出すのを見てからだと、ここであまりウェットにされると「はい?????」ってなってしまうだろうなと思ったので、後から思い出してありがたかった。

対して、おっかあと亀ちゃんの場面は情感豊か。家を出てからの母子ひとりの暮らしの苦労が滲み出してくる。
こうした父と子、母と子の描きかたに、不意に今松師匠の愛のようなものを感じてしまって、この日もああもうズルイなあと思いながら会場を後にした。なんだろうな、この会来るたび、シビれたって言ってる気がするよ。


第四回メモログのメモ:完成度低かろうがまとまっていなかろうが、それがメモログ。それでよいのだ。

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