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1ヶ月記録 2023年7月


7/3
東京に遊びに行った時の、明大前のネカフェで夜を超えた事とか、居酒屋で朝まで友達4人と飲んでそのまま朝のマクドナルドでホットコーヒーを飲んだ冬の朝とか、渋谷で1人カラオケオールしようとしてたらツイートを見て友達が部屋まで遊びにきてくれたこととか、吉祥寺で迎えた朝焼けがとても綺麗だったことも、ワンナイトした後の虚しさとか、そういうなんでもなかったはずのものが取り返せなくなる事に気づくとどうしようもない喪失感が襲ってくる。
突然過去の思い出の数々が愛おしく感じてしまうのは、もうそう思えてしまうほど生きてしまったからなのだと思うのと同時に、もうそういったことが無くなってしまったことに対して「過去の自分への羨ましさ」も孕んでいることに気づく。今もとっても幸せだ、とっても楽しい日々を過ごしているが、今を羨ましく思えるのはもっと先の話かもしれない。

7/8
安倍晋三元首相が亡くなってから一年が経った。あの日、食事をしに近鉄奈良駅にある東向商店街を歩いていたら、大相撲の中継以外に足を止めていることを見たことがない商店街内のスクリーンに、人だかりが出来ていた。大和西大寺駅・安倍晋三の文字がぱっと見え、それから全てを見た瞬間に戦慄が全身を走った。こんな身近な場所で人が、それも全国民が知っている人がなんて想像出来なかったことだった。去年は精神的にかなり不安定であったし、なおさら心を酷く憔悴させた。
これから夜勤の為に奈良へ向かう、偶然降りる駅は大和西大寺駅。もう1年が経ちます、安倍さん。

7/18
2ヶ月後に締切の短歌コンテストに向けて短歌を作っている。今月は川野芽生さんの「Lilith」、島楓果さんの「すべてのものは優しさをもつ」に新しく触れた。6月のまとめで書いたように、短歌を書けるように頑張っておこうと決めていたので、現時点SNSで詠んだ短歌をここに残すことにする。

喪失を知るその瞬間から君は 大人になって生きていくんだ
孤独を愛しているかどうかよりもまず 孤独に愛されるのかどうか
夕暮れが藍に変わったその時に 手を広げ空 舞えよ翼で
月、霞み 夜明け間近の黎明に 撫でる夏風 寝起きのひぐらし

佐野夜/短歌

7/27
誕生日がやってきた。プレゼントとして、自分宛に短歌を送ることにした。少し明るくなりだした朝、濃いめに作ったコーヒーに沢山の氷を入れたアイスコーヒーをお供にした。

優しさと気づかなかったあの頃の自分を両手で抱きしめる朝
君が成す事をこれから見ているよ 誰も座れない特等席で
僕が今流した涙の一粒を零さず作る心のみずうみ
楽園を壊してしまったあの夜の残ったものがお前の光だ
カーテンの隙間で産まれた陽の光 脳髄の裏に咲いたネモフィラ

佐野夜/短歌

1つ目の短歌は、産んでくれた母のことを考えながら作った。優しさと気づけなかったことが多かった学生時代。あの頃の自分をぶん殴ってやりたい気持ちもある、でもその優しさに気づけるようになった今だからこそ、過去の自分を抱きしめてやりたい。母子家庭ながら、ここまで育ててくれた母には本当に感謝している。大事にしなければいけないな、という自分と母へ愛を込めて。

2つ目の短歌は、これから成そうとしている全ての物事は、主人公である僕が特等席で見ることが出来る。プレイヤーである僕をこれからどのような人生を歩むのか、観客である僕が見ている。これからの未来に期待を込めて。

3つ目の短歌は、これまで流してきた涙を忘れないで、と自分へ言い聞かせる為に送った短歌。無闇矢鱈と涙を流してきた訳じゃ無い、涙には必ず理由がある。一つ一つの涙を忘れた時、自分がどのようにして生きてきたのかすらも忘れてしまいそうで怖い。涙が心を伝って、それが大きなみずうみになった時、その景色全てを許容して安堵出来るようになりたい。今まで流してきた涙が無駄では無かったと、いつかきっと言えるようになる為。

4つ目は、これまで自分を形成していた「堕落していた部分や、良くない生き方」(=楽園)を見つめ直す(=壊す)ことに対しての短歌。昔の自分が羨ましく思えるのは、今よりも間違いなく楽しかったからである。しかし、楽しいという感情に対し、幸せや充実は比例しなかった。若者というものはそうなのかもしれない。どこか埋まらない充実感や幸福感をずっと探していたはずである。あえてその楽園を壊し、なりたい自分へ変わる為に生きている。全てを壊そうとしてもなお、残り続けてきたものがお前(僕の)の光であり、大切にしなければいけないと、伝えたかった。

5つ目の短歌。誕生日の朝、カーテンの隙間から流れ込む陽の光が、プリズムのように乱反射して輝いていた。とても美しく見えて、それだけで特別な1日の始まりだと思えた。「脳髄の裏に咲いた〜」という表現は、中山可穂さんの「白い薔薇の淵まで」という小説の中にあるフレーズをお借りした。季節外れのネモフィラが、ぱっと咲いた。脳髄の裏にぱっと咲いた。カーテンから産まれた陽の光、脳髄の裏に産まれたネモフィラ、今日という日に産まれた新しい自分。




人と触れ合う度、自分に対する弱さと甘さ、未熟さに気づくことが増えた。さらに1つ年を重ねたことにより、それが加速するように焦りへと変換されていく。何もまだ成せていない。
短歌との出会いによって、少しずつ許容できつつもある。未熟なまま感じたことを短歌にする、人生から短歌へと昇華させる、まだこれからも生きていいんだという意思。
自分と向き合うということは壊していくこと、創造の為に必要な破壊。生きることは死なないこと、生きるということは辞めないこと、辞めないということは続けること。

現時点での目的は、短歌賞及び写真コンテスト、それぞれ受賞するまで続けまくることです。辞めずに諦めずに頑張ります。8月の僕、頑張れ。


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