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8月はしっかり夏だった。腕の日焼けはもうどうすることもできないから、細胞が元の色に戻してくれるよう祈っている。 台風の影響で涼しくなった空気、稲穂が頭を垂れて香る秋。夏の終わりを五感で感じながら、ぬるいアイスコーヒーを片手に、記録を書く。 1.大きな円環の中で これまでの自分と今の自分を比べた時に、変わったところが多く見つかった8月だった。 弱さとか強さとか、憎しみとか傷つくとか、そういったところにばかり目が行きがちだったけれど、もっともっとそれ以前の話だった。 生きてい
10/1 もう10月になっていた。奈良に住んでいた時もそうだったけれど、京都に住んでからより1年を駆け抜けている気がする。2023年もあと3ヶ月しかない。やらなければいけないこと、行かなければいけない場所、まだまだある。来年3月にある美波さんの武道館公演までは必死に頑張って生きていたい。 10/5 先月末に、「第三者が見ていた、過去の自分に対する固定概念」について呟いた。それは絶対に剥がすことの出来ないものだから、それら全て受け入れて生きていくしかないと自分の中で結論付けた
9/6 来週締切の笹井宏之賞に向けて、合間合間全ての時間をここに費やしている。どうしてここまで短歌にのめり込んでいるのだろうか。はっきりと言えるのは短歌をしないといけない気がして、それからずっとやっている。何かを生み出すこと、作り出すこと。それが使命のような気がしてならなくて、ただずっとやっている。それが短歌でも、写真であっても。 9/7 何かを新しく始めた時、見える世界がめまぐるしく変わることがある。見える世界が変わるということは良いことばかりではなく、見てられないものも
8/2 朝、窓越しから聞こえてくる蝉の鳴き声で起きる。つい最近まで寒いな〜と思っていた時期も、いつの間にか半袖でしかやり過ごせなくなっていて、季節の移り変わりを肌で感じている。京都の夏は暑いと聞いていたが、正直想像以上に暑い。肌を刺すのは冬の寒さだけでなく、真昼の太陽も鋭利な針のようになってズカズカ刺してきやがる。本当にやめてほしい。日焼けまっしぐらである。仕事以外に家を出なくなってしまったし、朝のゴミ出しすらも暑さのせいで億劫に感じてしまう。 8/3 京都国立近代美術館で
7/3 東京に遊びに行った時の、明大前のネカフェで夜を超えた事とか、居酒屋で朝まで友達4人と飲んでそのまま朝のマクドナルドでホットコーヒーを飲んだ冬の朝とか、渋谷で1人カラオケオールしようとしてたらツイートを見て友達が部屋まで遊びにきてくれたこととか、吉祥寺で迎えた朝焼けがとても綺麗だったことも、ワンナイトした後の虚しさとか、そういうなんでもなかったはずのものが取り返せなくなる事に気づくとどうしようもない喪失感が襲ってくる。 突然過去の思い出の数々が愛おしく感じてしまうのは
6/1 生きてきて良かった。と思える瞬間はそうそうない。楽しいことなんていつか終わるし、幸せだと感じて余韻に浸っていたって、毒のような明日はくる。リボ払いのような、利息ばかりを永遠に払い続けて逃げ切ることができぬままズルズルのたうち回って息をしているような人間。嫌になるようなことばかりに向き合って、向き合って向き合って息をしていればいつか水面に上がれるだろうか。それも全て自分の行動が鍵となっている訳で、動かなければ何にもならない。 6/7 空に青。さんと久しぶりに会えた。京