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はたちになった日

誕生日はいつまで嬉しいものだろう?
「はたち」という音からして二十歳は特別だ。三十歳を過ぎると自分より子供の誕生日になってしまうだろうか。高校生の頃は誰かの誕生日ごとにそんな話になった。それから十年近く経ち、私もアラサーになりつつある。

二十歳になった日、私は高校の友人と岐阜近くの伊吹山へ出かけていた。頂上から中腹までだだっ広い斜面が広がっていて、登る分には疲れるばかりでそれほど面白くもない。しかし下りは話が別で、冬は一面のゲレンデだ。日頃の抑圧ーーというほどのものはないがーーを解き放つのにこれ以上の場所はない。まず私たちは肉を食らった。それからホウホウと山猿のような声をあげて、標高1300メートルの頂からビニールシート一枚で滑り降りた。

降りた先にはあつらえたかのように温泉がある。ひと風呂浴びて畳で牛になっていると、友人が誕生日だからと缶ビールをおごってくれた。冷たい缶をじっくり眺めてから開けてみると、なんだか苦そうな香りがする。ご馳走になって言うことではないが、味の方もなんだか苦いだけに思えた。これが大人になるってことなんだ、思えば遠くまできたものだ。あえて言葉にするとそういう味だった。

雪山、温泉、初めてのお酒。私の二十歳はこうして始まった。明日でそれから六年。二十代の折り返し地点は過ぎてしまったが、折に触れて温める思い出もその分だけ積み重なってきた。

だから今でも誕生日はちょっと嬉しく、また楽しみにもしている。

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