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ぺんぎん通信 ♯3


7月20日 プリンの家系図

五月の終わり頃、妻がつわりで寝込んでいたので、甘くて食べやすいものでもとプリンを作りました。カラメルとプリン液をモロゾフの器に入れて蒸すだけのシンプルなものですが、昭和のプリンを思い出させる素朴な美味しさで、ついつい何個も食べてしまいます。

その話を義理の母にすると、「なんでうちの分がないの?」とのこと。義両親のぶん2つ作って持たせたら、美味しいと喜んで食べてくれました。

その翌日、器を4つ持った妻が実家から帰ってきました。見えないところでプリンが子供を産みでもしたんだろうということで、プリンの相続関係図を書いて遊んだりしました。次は孫の代まで作ってやろうと6つ持っていき、それからたまにプリンやゼリーを献上するようになりました。

すると、医者から甘いものを食べすぎるなと注意されてしまいました。何事もほどほどが一番です。一ヶ月ほど我慢していましたが、また作ろうと思います。

7月21日 労使それぞれの悲しみ

ピクミン4が発売されました。昔は家ではおおっぴらにはゲームができませんでしたので、同級生の家で遊ばせてもらい、対戦をしては練度の差でボコられていました。憧れと鬱憤の入り混じるシリーズです。

ピクミンは、未知の惑星で遭難したオリマーという人物が、ピクミンという生き物を駆使して、戦ったり生き残るのに必要な道具を回収したりするゲームです。ピクミンたちがかいがいしく働く様子は、まるで労働者として働く将来の自分のように見えました。それで少し暗い気持ちになったものです。

ですが、最近はピクミンではなく、むしろ彼らを使役するオリマーたちの方に思い入れを持つようになりました。 オリマーは自分の判断で道を選び、その責任の全てを自分で負います。段取りを間違えすぎると故郷に戻れず死ぬことになります。私はやがて、資本家(実はオリマーも一介の労働者ですが)に使いつぶされるピクミンたちよりも、未知の星で生きていくための選択につきまとう責任の重み、すなわち死への恐怖から狂っていくオリマーの様子の方が、ありえる将来の自分の一つではないかと思うようになりました。

そう、私がオリマーに共感を抱くようになったのは、偉くなって部下を投げつけ始めたからではありません。私にはピクミンさえおらず、自分自身を投げうつ他ないからです。 昔より憂鬱の中身が重症になったような気がしますが、楽しみにしていた10年ぶりの新作。時間を見つけてじっくり遊ぼうと思います。

7月24日 雲が行くまで待とう

本棚をがさごそやっていたらラッセルの『幸福論』出てきたので、手を止めてしばらくぶりに読んでいました。

ラッセルに触れたのは高校の英語の授業がきっかけで、これと『哲学入門』が最初です。その頃は著述家だと思っていたので、後に『数学原理』その他の功績を知ってたいそう驚きました。

それ以来、この本は長らく私の心の幸せのバロメーターでした。というのも、ラッセルは格調高いぶん時おり説教臭く、心がかげり雲が出てくると読むのがしんどくなってきます。目が滑ったりページをめくる手が進まなかったりすると、近く雨が降るかもしれないぞというわけです。そういうときは心と体を少し休めて様子を見ることにしています。

仕事がら、相談に来られる方々にも雨宿りの必要な方は少なくありません。晴れない雲はないというと、残念ながらこの世の中では嘘になってしまいます。ですが、雲が行くのを一緒に待ち、また歩きだしてもらえればと思っています。



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