自分との対話時間を軽視しない
noteを学生時代の友だちが読んでくれて。
感想をくれた。
「斜に構えてたあなたとは同一人物だと思えないね。良い経験できたんだね」
どうやら私は斜に構えていると捉えられていた模様。
いや、自覚はある。
背もでかいが、態度もでかい。
冷めた目で傍観者ポジションとりがち。
周りから見たら斜に構えてると言うに相応しいと思う。
そう思われている自覚あったから、
こんなにネガティブな面を曝け出して、
「私は私で良い…(キラッ)」なぁんて発信して周りにどう思われるか…と最初は周りの目を気にしていた。
特に親しい中であればあるほど、気恥ずかしさもあって言うまで時間がかかった。
でも、発信してみたら良い反応をくれることが多くて、そんな悩みも取り越し苦労だったと思う。
そうだった、勝手に恥ずかしさを感じていたけど、私の周りの人は嘲笑ったりしない人たちだった。
勝手な思い込みと自意識過剰。
これにより楽しむべき時に楽しめなかったことは多々あったと記憶している。
カッコつけたがるんだよね…なぜか。
根本には嫌われたくないって思う気持ちがズドーンと心に寝そべっていて、なかなか心から追い出すのが難しい。
ありのままで生きるって言うのは簡単だけど、行うのは難しいのよね。
ありのままって言うけど、何をもってありのままと言うか問題もあるしね。
自分のありのままを社会に出したら跳ね返ってくる反応にもビクビクしたりして。
こういう囚われから抜け出したくてnote書いてるんだった。
つらつらと心の声がダダ漏れ。
ここでは、体裁も段落も「てにおは」もなーんも気にしない。
ただ、頭の中に思い描いたことを自分に素直に残してるだけ。
その時間がなんと尊く、私自身を癒しているか。
自分との対話の時間を軽視せず、労わり、激励し、大切にする。
そうすることで、周りの人にも優しく出来る。
斜に構えがちだった私は、この時間のおかげで以前より柔らかくフラットにいられている気がする。
自由に表現できる場があることに感謝したい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?