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「エッセイ」音の粒子

ダーちゃんと結婚して間もない頃、私達は古いマンションの六階に住んで居た。いや、正確に言うと二人と可愛いワンコ一匹とだ。

ベランダに続く大きな窓を開けていたから、確か初夏の頃だったと思う。
当時はまだ、ゲリラ豪雨も猛暑も存在しなかった穏やかな夕暮れの時。
私はキッチンで夕飯の支度をしていた。
夕飯と言っても、ダーちゃんも私も夜はご飯は食べない。
吞兵衛二人の食卓は、酒とアテに決まっている。
酒の肴で大喰らいの腹を満たすのは、大変だ。
新婚当初から、私は「肴は五品」作ると決めて実行していた。
決して料理が好きだった訳でも、得意だった訳でもない。
私が好きだったのは、ダーちゃんとダーちゃんと共に過ごす時間だった。

「ワン、ワンワン‼」
居間で、のんびりして居た筈の愛犬のゴンちゃんが(パピヨンでゴンと言う名前のセンス 笑)突然けたたしく鳴き出した。
料理をする手を止めて、居間に行くと網戸を閉めた窓に向かって、嬉しそうに尻尾を振って吠えている。
「なぁ~に?ゴンちゃん、どうしたの?」
「ワン、ワンワン、ワンワン‼」
まるで網戸を開けろ!と言わんばかりに私を見上げて訴え続ける。
「落ちないでよ、六階なんだから…」
ガラガラ~
私は仕方なく網戸を開けて、吠え続けるゴンと一緒にベランダに出た。
古くて狭いベランダだが、居心地がいいように観葉植物を置いたり、家計の足しになるように小さなベランダ菜園が置いてある私のお気に入りの空間。
「ワン、ワンワン」
ポトスの葉の隙間に小さな顔を突っ込んで、階下へ向かって更に吠え続ける愛犬…
ベランダ側の下は、マンション住人の広い青空駐車場になっていた。

「なぁ~んだ、そう言う事ね」
視線を落とした先に、携帯で誰かと懸命に話して居るダーちゃんが居た。
「ガッハッハ」
大声で笑う声は、マンション中の皆に届いていただろう。
「そうっすか、分かりました…」
仕事の打ち合わせでも、しているのだろう。
私はベランダの柵の上に肘を付いて頬杖しながら、その大きな声を心地よく聞いて居た。
初夏の風が気持ち良く、私の身体を通り抜けて部屋を満たしていくようだった。
「いいな、何だか、こういうの…」
何気ない日常、言葉では表せない好きな人を待つ平穏無事な小さな幸せ?!
その幸せが、今吹いている風のように私を包んでいるようだった。

でも、その時、私は発見しちゃったんだ‼
ん?んん?
音が六階まで上がって来る?
ダーちゃんの声が六階まで?
って、事は!

音の粒子って空気より軽いんだ‼

何かで聞いた事あるぞ!?
火事の時、ガスは上に充満するから身を屈めて逃げろって‼
そうか、音はガスみたいな感じなんだ‼
私は、まるでエジソンか何かのように有頂天だった。
(エジソンが有頂天だったか、どうかは知らないが)

変な物思いに耽っていた私を一瞬で現実に引き戻したのは、駐車場で大声を発して居た本人だった。
「お~い!今、帰るよ~!」
私達を見つけて、大きく手を振る姿が今も私の脳裏に残る。
「ダーちゃん‼」
私は生涯で何度、彼の名を呼んだだろう…
今も呼び続けている。


「さぁ、夕飯の仕上げだ‼」
「ワン、ワンワン」
キッチンへ戻る私と玄関へ大好きな主をお迎えに行くゴン。
私達は俄然忙しくなった。
「ただいま~」
扉を開けて帰って来たダーちゃん
「ダーちゃん、お帰りなさい」




「お帰りなさい」…か、
あの当時は当たり前に使えていた大好きな言葉が、今はもう使えない。
私はダーちゃんにもう一生「お帰りなさい」と言えない。
一番言いたかった言葉「お帰りなさい」

「音の粒子」の話?オチ?は、もう少しあるのだけれど、それはまた今度(笑)
こんなんで「終恋」出来るのか?私?


riffraff_n様の素敵なお写真を使わせて頂きました。
ありがとうございました。








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