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「エッセイ」物心がついた瞬間

何歳だったのだろう…
あの時、家に居たのは実母だったのか、継母だったのかの記憶さえ曖昧だ。
実母なら、三歳以下で継母なら四歳だったと思う。

父と実母が別れた時の記憶はあるが、それは記憶なだけで「物心」が付いていたとは言えないと思う。

夕暮れが綺麗な日だった。
私は父の一番下の妹、私にとっては叔母にあたるK姉ちゃん(叔母なのに未だにそう呼んでいる)と田んぼの中の道を家へ向かって、手を繋いで歩いていた。
私はK姉ちゃんが大好きだった。

あ、そうだ。
此処まで書いてきて、やっと気付いた。
K姉ちゃんは実母と離れ離れになってしまった私を可哀想に思って可愛がってくれたのだから、あの時、家に居たのは継母の方だったはずだ。
私はあの時、突然思った事を口に出していた。

「ねぇ、匙って、何故お匙って言うの?」
「はっ?」
「うーん、だってスプーンとも言うでしょ?」
「ああ、そういうことね、匙は日本語でスプーンは英語だからだよ」
「違うよ、違う(泣)何故、匙って言うのかなぁ〜」

四歳の私はK姉ちゃんに説明する言葉を持ち合わせてはいなかった。
私はあの時、物に名前がある不思議さを伝えたかったのだと思う。それを代表したのが「匙」だった。
あの物体が、どうして「匙」と言う名前なのか、知りたかったのだ。

継母が嫁いで来てくれるまで、私は祖父母に育てられたようなものだ。父は仕事が忙しかったから、日曜日くらいしか遊んでもらえなかった。
祖父母は「匙」と言う単語を使った。継母は「スプーン」と言う。

私がK姉ちゃんに伝えたかった事は
「物には全て名前がある」
って始めて気付いた事だ。
でも、それを伝える語彙力は当然、四歳の私にはなかった。
ヘレン・ケラーが井戸の水をサリバン先生に掛けられて
「ウォーター」
と叫び
「先生、物には名前があるんですね」
と気付いたように、あの日、私は物体と名前が初めてくっついた。

「sanngoちゃんが変なこと、言い出した。大丈夫かな〜?」
言いたい事が伝わらなくて駄々をこねた私を叔母は心配した。

その夜、私は熱を出した。あれを知恵熱と呼ぶのか、ただの夏風邪だったのかは分からない。

何十年絶っても思い出す。
自分に「物心」が付いたと気付いた瞬間。


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