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生きていくことの責任とは、おかしいと思うことを言い続けること。

昨日、News Picks アカデミアのイベント 山口周さんの「ビジネスパーソンのためのアート×哲学~劣化するオッサン社会の処方箋~」に参加した。

山口さんの著書『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』『武器になる哲学』を読み、すっかりファンになったので、一度は直接話を伺ってみたいと思ったからだ。

昨今のいわゆる 50歳を過ぎた「オッサン」による不祥事が後を絶たないことを、「美意識」や「哲学」により説明できると言うので、興味津々。

また、私が日常的にしばしば感じる日本社会の生きづらさ、理不尽だと感じるシステムは、政治や企業の中枢を見る限り「オッサン」にあたる人たちが構築し、守っているように見えるから、どうこの抑圧感を打開したらいいのか、知りたいと思った。

原因は?
私達はこれからどう生きたらいいのか?

山口さんの講演自体は40分程度だったが、とても濃い内容だった。これらの疑問がクリアになったし、どの世代に対してもヒントになると思うので書き留めておきたい。

1. 「オッサン」の定義

いわゆる50代、60代の男性を指すわけではない。また、この定義に当てはまれば、女性であろうとも「オッサン」なのである。

1. 古い価値観に凝り固まり、新しい価値観を拒否する
2. 過去の成功体験に執着し、既得権益を手放さない
3. 階層序列の意識が強く、目上の者に媚び、目下の者を軽く見る
4. よそ者や異質なものに不寛容で、排他的

この定義に当てはまらない男性の代表として、立命館アジア太平洋大学 学長 出口治明さんの名前を何度も出されていたけれど、私もそう思う!

昨年出口さんの講演会に参加したのだけれど、視野の広さと愛情の深さに心を打たれた。出口さんのように優秀な若手と組んで起業し、あるタイミングで後進に道を譲り、自らは別の必要とされる場所へ流れるように移り変わっていく生き方。年齢とともにどう振る舞えば良いか、について最高のお手本である出口さんは、心から尊敬できる方の一人だ。

サミュエル・ウルマンの詩「青春」の言葉

「青春とは人生の或る期間を言うのではなく、心のありさまを言う。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯えをしりぞける勇気、安易を振り捨てる冒険心‥これを青春と言う。年を重ねただけで人は老いない、理想を失う時に初めて人は老いる。」

このような時を過ごしている人はどのような属性でも「オッサン」ではない。劣化する肉体の代わりに、知性は弛みなく成長させていくことで人の価値が熟成される。

2. なぜ「オッサン」の劣化が止まらないのか?

昨今の日本では枚挙に暇がないくらい、理不尽に他人を攻撃する、また不祥事を起こす「オッサン」の報道が目につく。

現代の50,60代は、社会や会社のシステムを受け入れてそこそこやっていれば金持ちになって幸せになれる、と言われて20代を過ごした最後の世代。

20代は人生の価値観を作る重要な時期。その期間に刷り込まれた価値観はなかなか変わらない。

加えて、日本含め、アジアの諸国は Power Distance Index=権力較差指標 が高く、他欧米諸国と比較すると、「年長者、上司=敬うべき対象」という文化が根付いている。

PDI指標 参考:http://ibunkakukan.blog.jp/powerdistance.html

ちなみに、権力較差指標が低い国ほどイノベーションが起きやすい、というデータもあり、日本がイノベーションが起きにくい国、というのは偶然の一致ではないだろう。

本来であれば尊敬されているはずのオッサンは、なぜイライラし、利己的なのか?

それは、今、AIやネット社会による「データベースとしての価値の棄損」という事態が起きているから。ただ単に「年を食っている」というだけではリスペクトされない初めての時代がやってきたからである。

1. 環境変化の激しさに伴う知識経験の不良資産化
2. 情報の普及,透明化によるデータベースとしての価値低下
3. 長寿命化による供給量の増加

つまり村の智恵袋としての年長者の経験値の価値は暴落し、大多数が100年人生に向かう中で、年齢を重ねた人の価値が薄まってきたと言える。

尊敬の対象になれるはずだったのに、そうではなくなってきた事による「裏切られた感」がオッサンたちを苛立たせている、というのが山口さんの推論。

また、オッサンの劣化が止まらない最後の理由として
「フィードバックの欠如」が挙げられるという。
オッサンの理不尽さに対して、何も行動しないことが、ますます社会自体の劣化を招いている。

具体的なフィードバックはこの2つ。
1. オピニオン=意見を言う
2. エクジット=組織を出ることで拒否を表す

具体例として、グーグルの若手が経営陣にオピニオンとエクジットで反論を表明した件が挙げられた。

グーグルでAIを兵器に搭載する計画があり、それを止めるために4000以上の社員が署名を提出、さらに13名が抗議辞任した。その為、経営陣はペンタゴンとの契約を解除せざるを得なくなったというのである。
参照サイト:https://techable.jp/archives/77931

これはまさしく、良識ある社員がオピニオンとエクジットで会社の意思を変えさせた例だが、これを日本でやろうとしたら、署名する社員がどれだけ出てくるのだろうか?

30年ローンを抱え、妻や子を扶養する大黒柱だったら?理不尽な上司に対して「辞めます!」と言えるだろうか。

この風潮は今始まったものではなく、神風特攻隊という今考えれば信じがたい戦法に対して、誰かが反対活動をしたとか、亡命をしたという形跡がないそうだ。

翻って、ナチス時代のドイツでは、白バラという反ナチ運動があった。メンバーは全員処刑されたが、活動に加わらずとも、亡命した国民も数多くいたという。
https://ja.wikipedia.org/wiki/白いバラ

そんな自分の意見を言う人が少数派である日本。

でも、そんな劣化するオッサン達と、私は心中したくないし、子供達にもそんな理不尽な社会を残したくない。

3.これからのオッサンと若手はどう生きたらよいか?

これからの「オッサン」のあり方として、やはり出口さんのような知性、哲学、美意識を身につけることを前提として、

サーバントリーダーシップの発揮が重要になってくるそうだ。つまり、環境変化が激しくなると知識やスキル=人的資本の蓄積が人材の価値につながらないため、人脈やネットワークなどの社会資本を武器にして若手を支援するというのが一つの立ち位置としてふさわしい。

そして「若手」が進むべき道とは、

1. どこでも生きていけるイモビリティ(高度の社会的移動性。職業・住所などの高い変動性)の獲得

2. その上で、自分の組織に対してオピニオン·エグジットを活用し、組織や社会に圧力をかけ続ける

オピニオンとエクジットも、自分が今の会社を辞めても他で生きていけるハイモビリティがあるからこそ発動できる。
まずは複数の場所で通用するスキルと経験を手に入れることが重要。

華僑やユダヤ人は国を信用していないので、常に金融、人的、社会的資本をポータブルな資産として持っている。これがある人は強い。

また、知性、哲学、美意識を身につけるにはどうしたら良いのか?

100年人生を四季に例えると、25歳から50歳は夏。

この夏の時期に多様な経験を積み重ね、心を動かすことが大事だという。

打席を増やす、良質な失敗経験をする、転職で環境を変える、多様な立場の人とつながる、偉人の伝記を読む(大人ほど読むべきだそう)、幸福のかたちはそれぞれであることを知る、など。

そこから生まれる自分なりの教養、哲学、美意識を持つことが重要。

それらがあれば、社会や会社の違和感に気づく。

利己的ではなく、社会全体の利益に基づく普遍的な内容であれば必ず共感する人が出てくるから、おかしいと思うことは声を上げること。それは生きていることの責任でもある。

私自身、夏の時期に転職を3回し、子を産み、離婚もし、様々な思い出したくない失敗をしてきている。それらが全て血肉になり自分という人格と、自分なりの社会に対する美意識を育ててきたのだと思う。

人生の実りの秋である50歳を迎える前に、まだすることがある。オッサンにならないよう、後進の道を少しでも広くできるよう、己の美意識に基づいてするべきことを続けたい。

まだまだ山口さんは興味深いお話を沢山してくださったのだけど、9月にこの内容に関連する書籍が出版されるとのことなので、きっとそちらで網羅されているだろう。楽しみに発売を待ちたいと思う。

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