算命学余話 #G22 「陰陽五行の配分と世界」/バックナンバー
植物模様の美しい壁紙で知られるウィリアム・モリスは、インテリアデザイナーであると同時に詩人でもあり、社会思想家でもありました。当時の英国は産業革命以来の工業化を進めた結果公害を起こしていた時期であり、行き過ぎた工業化が自然や町の景観を崩し、人々の心身の健康を損なわせているという考えが生まれます。今日の環境保護意識の走りです。ちょうどこの頃マルクスの社会主義思想が知識層の注目を集めており、ウィリアム・モリスもマルクス主義に傾倒します。人間が金儲けの奴隷とならないよう如何に精神を健全に保つか、資本主義とは一線を画した豊かさや幸福とは何かを、考えたわけです。
その結果があの壁紙となって結実しました。彼は、人間が幸せになるにはまず美しい家が必要だと思い付き、美しく調和のとれた空間に囲まれることで、人間の精神は豊かで調和のとれたものになる、と考えます。公害は調和の乱れの極みであり、そんな公害を野放しにしてはいけないし、公害の只中に人間は暮らすべきではない。人間の生活環境は美しくなければならない。というわけで、手っ取り早く内装壁紙があのような植物模様となって世に現れ、当時のインテリアのトレンドとなり、今日でも類似の柄が人気となっているのです。
私個人の趣味としては、ウィリアム・モリスの植物模様は悪くはないけれど、ペルシャ絨毯に代表されるペルシャの唐草模様のパクリに見えます。しかも床から天井までの広い面積全体をカバーする大型デザインではなく、小さな面積のデザインパターンの繰り返しなので、こうしたパターンを貼り合わせた壁全体を眺めると目が飽きてきます。シンメトリーが多いのも窮屈に感じられ、日本の伝統絵画のような空白や遊びもない。こういう壁に囲まれているとほっと一息できず、長時間いると気疲れします。公害丸出しの殺伐とした空間よりは数段ましですが、壁のような四方を囲む面積を植物柄とはいえパターン画で埋めるのは却って人工的で、自宅で休息するにはそぐわないと思います。短時間滞在目的のレストランやお店ならお洒落かもしれませんが。
それよりも、壁のほんの一部を飾るに留まる額付き絵画やカーテン、クッション等への使用の方が適していると思います。そしてこうした小型インテリアのパターン模様が映えるのは、目に優しい自然色の壁色です。漆喰のような淡い白からベージュ辺りまでのナチュラルカラーなら、小型インテリアがどういう色調で入ってきても合わせられますし、同時にインテリアのデザインも引き立ちます。まあ私が申すまでもなく、一般的な日本人が好む内装とは概ねこのようにできていて、家具や内装の販売業者が提案するモデルルームも大体このあたりが主流です。
インテリアの話はさて置き、ウィリアム・モリスの壁紙の原点に戻りましょう。「人間が幸福になるには、まず家を美しくすること、つまり美しい物に囲まれることが必要である」という発想は、算命学の考え方とも一致しているので取り上げてみました。算命学は基本的に「朱に交われば赤くなる」主義で、それはこれまで何度も繰り返してきたように、「人間の人生は概ね宿命が半分、残りの半分は生き方次第で決まる」と考えていることに起因します。
残りの半分である「生き方」とは、実践と環境です。実践が本人の意志や努力に依っているのに対し、環境は本人の意志とは無関係だと思われるかもしれません。なるほど、生年月日が同じ人でも、金持ちの家に生まれるのと貧乏な家に生まれるのとでは環境が大きく異なり、その後の人生を違ったものにしていくでしょう。「種が同じでも畑は違う」。こうした生まれ育った環境は、本人の意志とは無関係といえばその通りです。
しかし、幼少時代はともかく、成人してからはどうでしょう。自分のいる環境は、変えようと思えば変えることができる。そういう可能性は大いにあります。例えば家庭環境が気に入らなければ、家を出ればいいですし、職場が合わなければ転職すればいいのです。昔は容易でなかった離婚も今日では自由にできます。
但しこうした環境転換を可能にするには、本人にそれをするだけの能力がなければなりません。家を出て自活するには生活費を賄うだけの稼ぎが必要なので、働かなくてはなりません。有利な転職をするには、自分にそれなりのスキルがなければなりません。離婚する場合には、経済的な自立は重要な条件となります。
今の日本ならアルバイトするだけでも生存に足る稼ぎは得られますから、経済的な心配が深刻でないという意味では、自己の人生の環境転換は容易です。しかしもっとよい生活水準を目指したいなら、それに見合った能力を身に付けるべく努力が必要ということになります。そのための学歴であり、資格であり、特殊技能なのです。こういったものは生まれながらに持っているものではなく、宿命とは無関係です。
宿命(=生年月日)は変えられませんが、生き方は選べる。そのためには努力が必要で、努力次第で生活環境を変えることはできる。算命学はこういう考え方です。
最近はクライブ・ハミルトン著『サイレント・インベージョン』という本が出版されて、ここ十数年中国に肩入れしてきた豪州が知らぬうちに中国による主権侵略を許し、ようやくそれに気付いて対策を講じ始めたという話題が聞かれるようになりました。豪州はもともと英国領だった国で、親分である英国が老大国と呼ばれて国力を弱めていた20世紀末、独り勝ちする超大国米国の横暴を苦々しく思うあまり、新興の中国に接近して米国に対抗する道を選択しました。経済発展著しい中国は豪州でも爆買いをし、チャイナマネーの投資のお蔭で豪州経済は潤います。
しかしハッと気付いた時には豪州経済は中国に依存し、中国経済界の意向で豪州の政治は左右され、中国の言いなりにならなければ自国の事を決められない国になっていたのです。これに気付いたのが2018年頃。そこから豪州は中国贔屓の国のトップを政権から引きずり降ろし、主権奪還政治へと方向転換します。
そんな豪州にとって、日本の安倍首相は頼もしい協力者でした。安倍政権の外交成果の筆頭は日米関係の強化だと言われますが、日本が米国との関係を強化することによって、巨大な軍事力と経済力を誇る米国が中国の進出を牽制するようになったのです。日本単独では中国に対抗できませんでした。日本経済界もまた中国による侵略を受けているからです。しかし米国、特にトランプ政権は中国経済界に懐柔されておらず、その点民主党に勝ります。だからヒラリーにも勝った。こうしたトランプ政権と協調関係を築いた安倍首相は、直接米国を動かせない豪州にとって正に架け橋だったのです。だから安倍首相の辞任を受けて、豪州の報道各社がこぞって「アベ・ロス」を嘆いたのでした。
ちなみに、豪州は最近、首都のど真ん中に慰安婦像を建てようとした在豪韓国人団体の目論見を、在豪日本人と合同で阻んでいます。この韓国人団体は中国の支援を受けていたことから、豪州人は目を吊り上げて日本人の味方をしたようです。豪州人は、慰安婦話が反日国家による政治的な作り話であることを判ってくれているようです。そしてこれを放置すれば、次は自分があらぬ汚名を着せられて国内を攪乱され、結果的に中国による主権侵害を助長することになると恐れているのです。いま中国に歯向かえば、豪州の経済は失速するかもしれません。それでも主権を奪われるよりはマシです。主権を奪われれば、経済低迷どころか国ごと奴隷にされてしまうからです。
ウィリアム・モリスの壁紙の話に始まり、全然関係ない国際政治の話に行きつきましたが、両者にはちゃんと関連性があります。中国による経済侵略を長年受けることで大手メディアが中国に不利な報道をしなくなった日本では、ここ数年来中国人を「中国の方々」と呼んでいます。米国人を「米国の方々」とは呼ばないし、フランス人やイギリス人にも「方々」は付けないのに、中国人だけ付くのは異様だ、という話は以前の記事でも述べました。そして、中国による醜悪な人権侵害がチベットやウイグル、昨今では内モンゴルにまで及んでいる事態を厳しく批判する日本人でさえも、「中国人が悪いのではなく、中国共産党が悪いのだ」という但し書を付けて発言しています。人種差別発言にならないための配慮というわけです。
算命学は現代の国際政治とは無縁なので、ここではっきりさせておきましょう。中国共産党が悪いのならば、中国人も悪いのです。より正確に言えば、中国人の総体が悪いから、中国共産党の悪を許すのです。総体というのは、100%ではないけれども、九割以上だと考えて間違いありません。算命学の陰陽五行論ではそういう配分になりますので。中国人民の何割が非共産党員であるかなどとは、関係がありません。中国共産党に歯向かっている中国人活動家もいますが、彼らやその支持者がいかに少数であるか。比較にもなりません。そういう事実から目を背けてはいけない。木ではなく、森を見るべきなのです。
つまり中国共産党がチベット人やウイグル人を犯罪者でもないのに逮捕投獄して、その臓器を抜き取って移植に当てて「中国の臓器移植は米国を抜いた」と喧伝するのも、日本や豪州はじめ世界各国を経済的に取り込んで、その次は主権を奪うという手法も、算命学が唱える大局論からすれば、中国人一人一人の意識の集まった総意なのです。100%とは言わないけれど、九割を超える大部分は同じ意識なのです。でないと集団の意思としてこうした異常な行為は顕現するものではないからです。
それは、中国人民が他民族の人権侵害や主権侵害を積極的に望んでいるということではなく、消極的或いは無意識的に賛同しているということです。要するに見て見ぬフリをしているか、余りにアタマが弱くて見えるものも見えていないかです。この場合アタマが弱いとは、自分の利益以外に何物をも見ていない、他者の多大な不幸の上に自分の幸福が載っていることに心が痛まない、自分がそういう立場にあったらどう思うかという想像ができない、という意味です。中国人民が他民族の人権侵害に心を痛めないのは、彼ら自身にそもそも人権がないことが原因です。だからそれを失うことがどういうことか判らないのです。その程度にアタマが弱いということです。人間は、自分よりアタマの悪い奴に支配されたくないものです。だから世界は中国人による支配を嫌がっているのです。
ウィリアム・モリスでしたね。中国人民が中国共産党の政策を消極的・無意識的に支持しているのは、中国共産党という壁紙に囲まれて暮らしていることが原因だということです。或いは中国人民が壁紙であって、中国共産党がその中に暮らす人なのかもしれません。同じ事です。陰陽は反転しますから。だから「中国共産党が悪いのであって、中国人の皆さんが悪いわけではない」という論法は通用しません。算命学の理屈では、このような結論になります。
これは中国人だけを批判した話ではありません。日本人も同じです。幸い日本人の総体は未だに「お天道様が見ているから悪事はできない」というほんわかした性善説で動いていますが、余りに非道徳度の高い隣国中国の、その金儲けに対する異常なまでの執着心が、ソ連崩壊以降の資本主義独走態勢の国際政治・経済において勝ち続けるのを見て、日本人総体の倫理観が揺らぎつつあることは否定できません。「正直者が馬鹿を見る」壁紙に囲まれて暮らせば、中にいる住人だって影響されるのです。「朱に交われば赤くなる」。それが「中国の方々」表現であり、中国に不利な情報の報道規制となって表れているのです。
こういう事実を見て見ぬフリするのは、中国人民がチベットやウイグルの臓器移植の実態を「知らない」と答えるのと同じです。見て見ぬフリをしているなら明らかに道徳が欠如しているし、本当に知らないのなら心底アタマが弱いということになります。日本人の総体はそのどちらにもなりたくないはずですが、「幸福すなわち経済的豊かさだ」的価値観一辺倒の資本主義世界に長年暮らして、感覚が麻痺している感が否めないので、敢えてここで『算命学余話』の話題とさせて頂きました。
閲覧者の皆さんには上記全編を読んで欲しかったので、この先の有料の本編がわずかになってしまいました。以下はここまでの話題を進めたものと、算命学の視点から見る世界の様相についてです。鑑定技術に関わるとも言えますし、大して関わらないとも言える内容ですが、人類を巨視的に見るのに必要な内容かもしれません。気になる方はご購読下さい。
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