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死生観


わたしがしぬところをみんなに見せたら、みんなの心の中で生きられるんでしょうかね。
あるいはインターネットのふかいふかい場所(浅いところかも)に居続けられるでしょうか。
わたしが作品をのこしたら、そこにいつづけられますか。
死ぬことを、自分が大きくなり得る手段としてはいけませんね。

おばけには、存在してほしいものです。
死んでもこの世の愛しいものが見られるならそれが良いです。
科学者には是非おばけの存在を証明してほしいです。
人の魂が21.3グラムって本当なんですか?
超能力でもオーラでも占いでも怪しいツボでもなんでもいい、在ってくれるだけで、それで良いです。

死ぬのを望んでいたと言えば陳腐ですが、あの日々が信じられないほど今度は死ぬのが怖いです。ただ、手首の失敗した傷と良く切れすぎるカッターで手首を切りすぎた傷跡が消えるのも嫌で、消えそうになってはそこを掻きむしって新たな傷にしています。

いや、あの日々の中でも死には怯えていました。
通学途中に死んだらどうなるか考えて学校に行けなくなって笑われた日もあれば、明日死ぬかもしれないという漠然とした不安で埋め尽くされてハーゲンダッツを買ってしまうこともありました。
死ぬのが本当に本当に怖くなって、いっそのこと死んだら楽かもしれないという気持ちも出てきます。でも私がこの世で灰になってしまうと思うとやっぱり死にたくないのです。

最近無駄に生きている自覚が出てきて、今まで避けて誤魔化してきた苦労を一気に味わっています。

死にたくないです。
死にたくありません。
死がいちばん怖いです。

今日も目をつぶって、死へと歩きます。

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