広瀬和生の「この落語を観た!」vol.92

11月9日(水)
「代官山落語夜咄 三遊亭兼好『文七元結』produced by広瀬和生」@晴れたら空に豆まいて


広瀬和生「この落語を観た!」
11月9日(水)の演目はこちら。

三遊亭兼好『文七元結』
~仲入り~
三遊亭兼好×広瀬和生(トーク)

今年の「圓朝祭」で兼好が『文七元結』をやったと聞き、僕がプロデュースする「代官山落語夜咄」でやってほしいとリクエスト。僕は兼好の『文七』を聞いたことがなかった。数年前にネタおろしした後、今年の「圓朝祭」で演じたのが二度目、この代官山での口演が三度目だという。

兼好の『文七』はビシッと筋を通す佐野槌の女将の気性が実に印象的だ。佐野槌に呼び出した長兵衛を「博奕ってのは、あんなに仲の良かったおかみさんを殴ったり蹴ったりするほどものなのかい? こんなに可愛い娘に自分から『私を買ってください』なんて言わせるほど、博奕ってのは楽しいのかい?」と強い口調で迫った後、「ここへ来る娘にはみんな事情がある。いちいち可哀想だって情けを掛けてたら、こんな稼業は務まらない。ましてこの娘は自分で買ってくださいって来たんだ。買うよ。見世に出すよ」と言うと、長兵衛は「それだけは勘弁願います」と頭を下げる。「でも、お金は欲しいんだろ? じゃあこの娘は預かるよ。お金も貸そう。で、お前はどうするんだい?」と言われて「え?」と口ごもる長兵衛。

「娘は見世に出さないでください、お金は貸してくださいって、それじゃ済まないだろ? 博奕はきっぱりやめます、働いてお金を返しますから娘は女郎にしないでくださいって、そんな当たり前のことが言えないのかい!?」と長兵衛を叱り飛ばす女将。「目が覚めました」と頭を下げる長兵衛、借りた五十両はいつ返せるんだと訊かれて「三月の末には」と言うと「それが博奕了見なんだよ! それが出来るんなら、そんな汚い恰好しなくて済むんだ」と叱られ「再来年の二月」と答えると「そんなには待てないねえ」と言う女将。「じゃあこうしよう。来年の大晦日までに返しておくれ。お前の力なら、それは出来る。だけど一日でも滞ることがあれば、この娘は見世に出すよ。お前は私を知ってるね? そうなりゃ何の情けも掛けないよ。こんな線の細い娘、病気になるかもしれないよ。そのときになって私を恨むんじゃないよ」

この女将がラストの長兵衛宅の場面にも登場するのが兼好演出の真骨頂。文七にわけを聞いた翌朝、佐野槌から戻った番頭が近江屋卯兵衛に「達磨横丁の左官の長兵衛親方とわかりました」と報告する。「佐野槌の女将さんと話はついたかい?」「はじめは揉めましたが、色々話をして、ようやくわかっていただき、万事旦那様の手配どおりということに」 そして近江屋が文七を連れて長兵衛宅を訪ね、なんとか五十両を受け取らせると、身祝いの角樽と酒の切手を渡した後、「もうひとり会ってもらいたい人が」と近江屋が言い、「邪魔するよ」と佐野槌の女将が入ってくる。「なんだね、お前は。こちらの旦那に話は聞いたよ。お前も無茶をするねえ。これで五十両出てこなかったらどうするつもりだったんだい?」と呆れる女将。まったくもって、そのとおり。観客のモヤモヤを女将が代弁してくれて、スッキリ。

「まあ、今度ばかりは人ひとりの命が助かったんだ。で、こちらの旦那がお久ちゃんを身請けするって……私は断わったよ。そんなことして、またお前が博奕に手を出したら困るからね」と女将が続けると、長兵衛が慌てて「いえ、決して! もう二度と博奕には手を出しません!」と誓う。「本当かい? まあ、お前がそう言うんだったら間違いないだろう。その代わり、ちょいっとでも博奕に手を出したら、今度は私がここに乗り込んで、お久ちゃんを連れて行くよ」と言って、女将が「さあ、お久ちゃん、入っていいよ」と呼び入れると、お久が入ってきて「おっかさん!」と叫び、法被に裸の女房も思わず屏風の陰から立ち上がって……という流れでハッピーエンドへ。

佐野槌の女将以外の部分での兼好演出の特色を幾つか記すと、まず吾妻橋の場面。長兵衛は、わけを聞いて文七に「とにかく店に戻って、それで駄目なら飛び込めばいい」と言って去ろうとした後、やっぱり飛び込もうとするので止める。そこで文七が「自分が情けなくて」と泣くのを見て「五十両あれば飛び込まないのか。五十両だな」と言って、すぐに渡してしまう。つまり、文七を諭すのも引き止めるのも一回だけ。後で女房に長兵衛は「俺だって、やっちゃってから『あっ、しまった』と思ったけど」と言っているが、考えずに動いてしまう江戸っ子の気風、という描き方。その後、お久が佐野槌に身を売った金だということを語り、「この五十両と合わせて百両となりゃあ、来年の大晦日は無理だろうよ。だけどしょうがねえ、人ひとり死ぬのを放っておいて帰ったとなりゃあ、それこそお久に顔向けできねえ」と言って金をぶつけて逃げる。その際、よくある「店の隅にでも神棚を作って、金毘羅様でもお不動様でも、お前の贔屓の神様に、吉原の佐野槌という見世の十七になるお久と言う娘が病にならないように祈ってくれ」といった台詞は、一切ない。

近江屋に戻った文七は「ずいぶん遅かったじゃないか。お金はどうした」と訊かれて、無言で五十両を差し出す。「番頭さん、出てきたね」と驚く旦那。番頭が「文七、このお金はどうした? 盗んだのか?」と尋ねると、文七は「盗んだんじゃありません」と答えるだけ。すると番頭、「おかしいじゃないか。お前、掛け取りが終わってそのまま水戸様のお屋敷に行ったね。清水様と碁をしただろう夢中になって遅くなり、慌ててお前が帰った後に碁盤を片付けたらお前の財布が出てきて……」と、五十両は既に届いているという話をする。つまり、文七は一切、嘘をついていない。ただ「盗んだんじゃありません」と言うばかり。柳家喜多八が「人からもらった五十両を、やれ友達と財布を交換しただのシレッと嘘をつく文七は全然正直者じゃない」と言い、“近江屋に戻って嘘をつくこともできずうろたえる文七”を演じたが、それと同じく兼好演出でも、文七はあくまで“嘘をつけない”男なのである。

この「勢いで五十両を渡してしまう」「文七が嘘をつかない」という二点は、『文七元結』という噺を現代人が聞いた時に浮かびがちな「娘を売った金を他人にやるか」「こんな男にお久をやれるか」といった疑問点を解消する、実に見事な演出だ。

お久が身を売った見世の名は、旦那に「一度聞いたんだから思い出せるだろう。角海老か?」と訊かれ「生き物ではなかった……」「扇屋か?」「そんな柔らかくない……もっと硬そうな」というやり取りがあり、番頭が「もっと何かあるだろう」と突っ込むと、「金槌みたいな……」「佐野槌か!」という流れで判明。このやり取りの楽しさは兼好ならでは。

長兵衛宅の場面で、近江屋が「すられたというのは勘違いで、五十両出てまいりまして」と打ち明けると、長兵衛は「ほら見ろ! 言ったろバカ、お前がドカンボコンの後で金が出てきてどうする! しょうがねえなあ」と呆れるものの「旦那によく謝れ!」と言った後、「よかったなあ命が助かって」と喜ぶ。あんまり怒ったりしないのが長兵衛の江戸っ子らしい気持ちの良さだ。近江屋が「親戚づきあいをしてほしい」とか「文七の親代わりになってほしい」といったことを言うのが通常の演出だが、兼好演出はそれがなく、身祝いの酒からすぐ佐野槌の女将の登場となるのもテンポが良くて心地好い。

仲入り後のトークでも話したが、『文七元結』という噺には様々な疑問点や不自然な要素があり、議論の的でもある。そうしたモヤモヤを一気に解消する見事な兼好演出に心底感動した一夜だった。


次回の広瀬和生「この落語を観た!」もお楽しみに!

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