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広瀬和生の「この落語を観た!」Vol.156

12月12日(火)「2023今年最後の立川志らく独演会」@日経ホール

広瀬和生「この落語を観た!」
12月12日(火)の演目はこちら。

立川らく兵『洒落小町』
立川志らく『文七元結』
~仲入り~
立川志らく『芝浜』

2011年によみうりホールで(1回目は談志のピンチヒッターとして)始まって毎年恒例となった志らく“今年最後の”独演会。談志がほぼ毎年よみうりホールで12月に『芝浜』をやっていたのを引き継ぐ形とはいえ必ずしも毎年『芝浜』を高座に掛けてきたわけではなく、去年もやっていないが、今年が談志の13回忌であることもあって『芝浜』をネタ出し。今後10年間は必ず『芝浜』をやることんしたという。

一席目の『文七元結』もネタ出しで、今後この会で志らくは『芝浜』ともう一席、自薦の「ザ・ベスト高座・オブ・ジ・イヤー」となった演目を掛けることにしたとのことで、2023年は3月の「立川流三人の会」@明治座での『文七元結』。というわけで大ネタが二席並ぶことに。開口一番は真打昇進のお墨付き志らくからもらったらく兵が務め、談志と志らくの演目『洒落小町』を演じた。

志らくの『文七元結』ではお久は長兵衛夫婦の間の実の娘(つまり女房は義母ではない)。談志の演出にあった「藤助から羽織を借りる」場面はなく、したがって「羽織を返して佐野槌を後にする」場面もない。長兵衛は佐野槌の女将に「来年の土用には」五十両を返せると言い、女将はそれを受けて「私も江戸っ子だ、細かいことは言わない。来年の大晦日まで待つ」と言う。女将から長兵衛への「いい腕を持ってるのに」云々の説教は一切なく、女将はただ「小さいころから知ってるお久が身を売りに来たのが不憫だから」五十両を貸す。五十両を入れた財布についての「旦那の着物の端切れ」といった言及はない。お久の素直さ、可愛さは特筆モノで、長兵衛へのお久の「おっかさんをいじめないでね。あんなに酷い目に遭ってもおっかさんはおとっつぁんの悪口を言ったことがないのよ」「あんまりお酒呑まないでね。おとっつぁんは身体が強くないんだから、万が一のことがあったら悲しいから」といった台詞が胸を打つ。長兵衛は「てめぇの娘を女郎屋に売って初めて気が付いた。なんだって博奕なんかに手を出したのか……お久、勘弁してくれ! 必ず迎えに来るから」と呟いて吉原を後にする。

吾妻橋で身投げしようとする文七に遭遇した長兵衛は「働いて返せばいいんだ。最初はみんな色々言うだろうけど、何年もすりゃ『あいつもあんなことはあったけど一生懸命働いて偉ぇもんだ』って言うよ。いつか俺に感謝する日が来るから。生きてりゃいいことがある、花も咲くし小鳥も囀る」と説いて去ろうとするが、文七は再び身投げしようとする。「俺はお前に構ってる暇はないんだ、俺が行っちゃってから死ね」と言うが聞く耳を持たない文七に長兵衛は「十両やろう。ダメ? 二十両……三十両やるよ! 四十両でなんとかならねえか?」と掛け合った挙句「五十両ねえと死ぬのか」と言って、「ちっ、持ちつけねえモノ持つとこうなるのか。仕方ねえ。お久、勘弁してくれ」と諦めの口調で呟くと、ポンと財布を渡す。ほとんど逡巡することなく渡してしまう“江戸っ子らしい”長兵衛だ。怪訝な文七に長兵衛は。「俺もカカァも死なねえ、娘は女郎になるけど死なねえよ。お前は死ぬってぇから……このヤロ! 俺の気が変わらねえうちに!」と五十両をぶつけて去る。

近江屋に戻った文七は「友達と財布を交換した」と嘘をつくが、先方に忘れてきた五十両が届いてると聞かされ真実を話す。誰がくれたのか、手がかりは女郎屋だと番頭が言い、「五十両ポンと出すからには大見世でしょう」と、文七に「角海老、三浦屋、半蔵松葉、金兵衛大黒……」と見世の名を列挙して佐野槌と判明。このくだりは談志をそのまま受け継いでいる。

志らくの『文七元結』は大ネタ然とした重さがなく、江戸の市井に生きる等身大の人々を描いた娯楽映画のようだ。随所に笑いを交える演出にあざとさはなく、美談の押しつけがましさもない。トントンとアップテンポで進んでいく展開に身を任せているうちにハッピーエンドに至る。「娘を売った金を見知らぬ他人にうやってしまう」という行為の不自然さを疑う余地がないのは凄いことだ。こういう『文七』は貴重であり、志らくならではの素敵な噺として素直に楽しめる。

今回の『芝浜』は素晴らしかった! 今まで聴いた志らくの『芝浜』の中でも突出した見事な出来だ。志らくの『芝浜』は「可愛い女房」を描いていて、その基本は変わっていないが、ともすれば落語らしさを強調するコミカルなテイストが勝っていた以前の女房ではなく、普通に健気で可愛い女として、いい塩梅に描いている。

三年後の大晦日、湯から帰った勝五郎は畳を替えたのを喜び、福茶を飲み、笹飾りのサラサラという音を聞き、「三が日は晴れるな。呑めるヤツは楽しみだ」「呑みたいんでしょ」「呑みたかねぇよ」……お馴染みの場面だが、ここで志らくオリジナルの台詞が出てくる。「ねぇ、お正月になったら一度、芝の浜へ連れてってちょうだいな」「ああ、いいよ。一度も連れてったことねぇからな。気持ちいいぞ」 そして勝五郎が除夜の鐘を聞いて「百八つ……。借金取りも来ねえ、お前と二人で正月を迎える。いいもんだだな」と微笑むと、女房がいきなり泣き出して、四十二両の入った財布を差し出す。ここからの女房の告白も、従来のものと大きな差異はないけれども、やはり歴然と進化している。談志の強烈さや談春の饒舌さとは一線を画するけれど、聴き手を見事に共感させ、素直に感動させるものになった。

夢じゃなかったと知って「亭主に嘘をつくのは良くねえことだろ!」と怒りのあまり手を出す勝五郎に、女房は「魚屋が魚屋をやめるのも良くないことだ」と反論する。このやり取りは従来もあったが、出てくるタイミングと口調がまるで異なる。

「あのとき死ぬほど嬉しかったのよ。貧乏のどん底だったもの! 毎日毎日お前さんのお酒の心配ばっかりしてた。明日のお酒はどうしようって、お酒のことしか考えてなくて、私はいったい何のためにお前さんと一緒になったんだろうって……だから本当に嬉しかった。ああもうこれでお酒の心配しなくて済むって。でもあなたは魚屋をやめるって言った。私は魚屋のお前さんが好きなんだよ。いつも河岸から帰って今日の魚はああだ、こうだって子供みたいにニコニコ笑って話すお前さんの顔が好きなの。でももう河岸に行かないってお金見てニヤニヤしながら呑んでるお前さん、すごく嫌な顔してた。ああ、こんな人と一緒に居なきゃいけないのかって」

どうしていいかわからず外でウロウロしてたら大家に見つかり、勝五郎が魚屋をやめると言ってると打ち明けたところ、大家が「金は預かる、夢にしろ」と言ったのだという。かつての志らくは、大家に金を持っていかれて「どうしよう、お金なくなっちゃった」と慌てた女房が、「あの人いつもお酒ばっかり呑んで頭おかしくなっちゃってるから夢にしよう」と思った、という演出でやっていたりしたところだ。

女房は、酒をやめさせたいとは思っていなかったのだという。

「まさか、お酒やめるとは思わなかった……。好きなお酒やめて一生懸命働いてくれるようになって、寒い冬の朝も早く起きて「いつもすまねえな」って言って天秤棒担いで出て行くあなたの後姿を見て、本当にごめんなさいって手を合わせてた。だけどそのうち、本当にあれは夢だったんだって思えるようになって、少し肩の荷が下りた気がしたの。でも、落とし主が現われないからって四十二両が戻ってきて……どうしよう、いっそのこと畳の下に隠しちゃおうと思って、畳を替えることにしたの。でも畳屋さんが見てるから隠せなくて……。あたし、もうこのお財布は芝の浜へ返そうと思った」
「それで、浜へ連れてってくれって!?」
「うん、でも他の魚屋さんが拾ったらうちと同じになっちゃうから……」
「じゃあ、どうして今話した?」
「お酒、呑んでほしかったから」
「え?」
「お茶のほうが美味いなんて痩せ我慢して、こんないい人いないなと思って……この話をしたら、きっとヤケ酒飲むだろうって思ったから……」

泣きながら続ける女房。
「話はこれだけ。ずっと女房に嘘をつかれて怒ってるでしょうね。ぶっても蹴ってもいい、でも、あたしのこと捨てないで。お願いします、一緒に居てください……」
黙って聞いていた勝五郎が「よく見せてくれた」と声を掛ける。「ぶったりなんてしねえよ」
「あたしのこと、捨てない?」
「捨てねえよ」
「あたしって、いいことしたの?」
「いいことだよ!」
「ひょっとして、あたしは貞女?」
「ああ、見事な貞女だ」
泣き崩れる女房。
「夜が明けたら二人で大家に礼を言いに行こう」
「お酒呑む?」
「よし、呑もう! でも三年ぶりだからな、酔うぜ」
「大丈夫、介抱してあげる。好きなだけ呑んで」
「そうか、じゃあ遠慮なく……(と呑もうとして手を止めて)やっぱりよすよ」
「どうして?」
「また夢になるといけねえ」

従来の志らく演出の過剰な部分を削ぎ落とし、独自性は保ちつつ談志の『芝浜』のテイストにも寄せている。結果、『文七元結』がそうであったように、志らくの『芝浜』もまた江戸の市井に生きる夫婦を描いた娯楽映画のような素敵な物語となり、心地好い感動の余韻を与えてくれたのだった。


次回の広瀬和生「この落語を観た!」もお楽しみに!
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