広瀬和生の「この落語を観た!」vol.55

9月3日(土)
「ザ・柳家権太楼の了見」@よみうり大手町ホール

広瀬和生「この落語を観た!」
9月3日(土)の演目はこちら。

柳家さん光『熊の皮』
柳家権太楼『子別れ(通し)』
対談(柳家権太楼×長井好弘)
~仲入り~
柳家権太楼『疝気の虫』


2018年に出版された権太楼の著書『落語家魂! 爆笑派・柳家権太楼の了見』に書かれている「噺家人生長期計画」(35歳の真打昇進時に権太楼が節目ごとに将来の目標を定めたもの)に基づく会。今回はその5回目で、「70代の権太楼」がテーマ。そこでネタ出ししたのは人情噺『子別れ』と爆笑落語『疝気の虫』だった。

権太楼の『子別れ』は師匠の五代目小さん直伝。『子別れ』を教わりたいと申し出た権太楼に小さんは「紀伊國屋でやるから観てろ」と言い、終演後、寿司屋のカウンターで「あの亀吉は、俺なんだ」と芸談を聞かせてもらったのだという。

『子別れ』は「上・中・下」に分かれる。このうち「上」の『強飯の女郎買い』は弔いで酔った熊が吉原に繰り込む、いかにも江戸落語らしいパート。誰がやってもだいたい同じ演出だが、小さんは 冒頭で隠居が熊に説教する場面をカットしてすぐに紙屑屋と出会うやり方をすることもあった。今回の権太楼はそこも演じるフルサイズ。

「中」は、まったくカラーの異なる「上」と「下」を繋ぐブリッジのようなもの。何日も吉原に居続けをして帰った熊が女房と喧嘩になり、女房が亀吉を連れて出ていく重要な場面で、小さんは喧嘩を聞いた隣家の半公が仲裁に入るもやはり喧嘩になり、続いて年嵩の吉兵衛が仲裁に入ってひとまず収まるものの、吉原の女に夢中になった熊はその後も吉原通いを続け、女房と子供を追い出し年季が明けた女郎を家に入れたものの「やはり野に置けレンゲ草」……というやり方。圓生は隣家の男が仲裁に入るが「俺のカカアの味方ばかりしやがって、さてはカカアに気があるな」という熊の言いぐさに呆れて帰ってしまい、女房は亀吉を連れて出ていくという展開で、小三治はこちらを踏襲していた。

仲裁が入る演出は「中」だけで独立した一席になり得るやり方だが、通常は「中」だけ演じることはなく、たとえば独演会などで「上・中」と「下」(もしくは「上」と「中・下」)に分けて「通し」にする場合に聴ける「中」では皆たいてい仲裁を入れない。この日の権太楼も仲裁が入らないまま女房と亀吉が出ていき、吉原の女を家に入れたが出ていった……というところまで語って「ちょっと水飲んでいい?」と、ひと休み。「この噺のもうひとつのやり方としては」と、小さんの「その場は収まったがその後の熊は家庭を顧みず吉原通いで結局は離縁状……」という展開を地で語り、吉原の女の顛末から「酒をやめて3年後」ということで「下」へ。

「下」は『子は鎹』とも言われる人情噺で、演者による違いが顕著なパート。小さんの『子は鎹』は、父と再会した亀吉が「先生が親孝行しなさいって。オイラ親孝行するから帰ってきてよ」と無邪気に言って熊が涙ぐむ場面がある。この「亀吉の無邪気さ」が小さん演出の最大のポイント。小さんは「圓生さんの亀吉は大人が考えた子供なんだ」と言っていたという。実際、圓生は「落語の中の子供だから少々マセた感じで」と意図していた。その流れで、「大人びた亀吉」を演じるのが主流になった感がある。柳家喬太郎はその一人。さらに立川談志は「あの亀吉はガキ大将なんだ」という解釈で独特な亀吉を創作し、春風亭一之輔は「リアルな男の子の生意気さ」を表現している。

だが小さんの亀吉は「無邪気な子供」で、それを権太楼の『子は鎹』は完全に受け継いでいる。父に小遣いをもらった亀吉の「これで靴を買うんだ」という台詞は、学校ではみんな靴を履いてるけど自分の家庭では貧乏で靴を買えないという事情を呑み込み、決して母に無理を言わない亀吉が、五十銭という金を手にして「自分だって靴を履きたいんだ」という本心を思わず吐露した場面。額の傷は「チャンバラごっこで斬られたんだけど着物を汚すとおっかさんが困るから倒れなかった」ので殴られたのだという切ない事情も「母思いの亀吉」だからこそ。こうした演出は小さんが創作したもので、権太楼もそのまま継承している。

小さん演出がひときわ光るのは鰻屋の場面。前日に熊と木場に出かけた番頭が鰻屋にも同席し、亀吉の様子を見に来たお徳(熊の女房)に「私がここにいるのは、この後で亀ちゃんに家に連れてってもらってお前さんに会おうと思ったからなんだ」と打ち明けて、「亀ちゃんのためにもう一度やり直してもらえないか」と頭を下げる。通常は親子三人だけの場面だが、熊が亀に「もう他人だから会えないんだ」と言って会ったことは内緒にと念を押すのは正式な離縁状があるということで、それを元の鞘に戻すには第三者が間に入って夫婦の復縁を促すほうが自然だ。何より、亀吉が「仲人に骨を折らせるなよ」などと言わずに、ただただ父と母の子供として振る舞うことができる。

「中」の、「おっかさん出てっちゃうよ……止めないの?」と泣く亀吉。「下」で、五十銭を見つけた母に問い詰められて「これで靴買います……」と涙ぐんで繰り返す亀吉。「素直な子供として亀吉を描く」小さん演出の“肝”を、権太楼は強烈な感情注入によって見事に表現している。幼心に傷つき、母を気遣い、寂しさを隠してきた亀吉は、鰻屋の場面では余計なことは言わず、ただただ両親を見つめている。番頭の「お徳さん、あなたは偉いね。よく女手ひとつでこんなに素直でいい子に育ててくれた。私からも礼を言います」という台詞がすべてを表わしている。権太楼はこの亀吉が好きで好きでたまらないのだという。

「助けてくださいっ」という独特な口調と見上げるポーズが権太楼の代名詞のようになった(?)『疝気の虫』は、虫たちが蕎麦の匂いにつられて「♪おそば、おそば、おそばを食べよっ」とリズミカルに唄いながら踊るように動いていく場面で鳴り物を入れて上方風の派手な演出にしたのが最大のポイント。三味線が鳴りやまずに演者が下座に向かって怒る、というお約束も楽しい。渾身の人情噺をやった後に、このバカバカしい噺をやってお開きというのは、いかにも「権太楼らしい了見」だ。


次回の広瀬和生「この落語を観た!」もお楽しみに!

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