広瀬和生の「この落語を観た!」vol.102

11月24日(木)
「三遊亭兼好・三遊亭萬橘二人会」@日本橋劇場


広瀬和生「この落語を観た!」
11月24日の演目はこちら。

三遊亭楽太『つる』
三遊亭萬橘『二階ぞめき』
三遊亭兼好『茶の湯』
~仲入り~
三遊亭兼好『だくだく』
三遊亭萬橘『火事息子』

楽太が演じた『つる』は「首長鳥がつるになったわけ」を語る前に「雀」「鳩」「インコ」等の謂われを語ってから本題に入るというやり方。「つるの謂われ」も、「ツーッと飛んできて」「ルーッと飛んできて」を二日続けて見たので「つる」になり、その翌日「首長鳥のオスによく似た鳥がツーッと飛んできたけど枝に止まらず、メスによく似た鳥がルーッと飛んできたけど枝にとまらなかったので『これはつるじゃなくてサギだ』となった」というくだりを入れている。この受け売りを伝えようとして「尺八吹きの老人が浜辺でカンチョウをしてトウモロコシを食べていると…」などと間違えるのもバカバカしくて面白い。

萬橘の『二階ぞめき』は、番頭と若旦那の冒頭のやり取りが独特。若旦那が番頭に「お前はシャレがわからない、堅すぎるよ。柔らかくなれ」と繰り返す中、番頭が「二階に吉原を作ればいいですか」と尋ねると、「それだよ、シャレがわかってきたじゃないか。いいねえ」と言い残して出かけ、しばらく家を空けて久々に帰ってくると番頭が本当に二階に吉原を作っていたという展開。シャレかと思ったら番頭はマジだった、ということ。若旦那はその出来の良さに「うちに出入りの棟梁、凄い腕だねえ」と驚きつつ「誰もいないのに冷やかせるわけねえだろ」と呆れたものの、二階の吉原を歩いてるうちに気分が出てきて独り遊びに興じ始め、次第にヒートアップする。萬橘らしいヒネリの利いた演出であり、「二階に吉原を作る」という荒唐無稽な設定に説得力を持たせている。

兼好の『茶の湯』は、冒頭で隠居が茶の湯をやらざるを得ない状況に追い込んでいく定吉の畳みかける語り口が実に可笑しい。この定吉の“純真なようで隠居をからかっている”感が絶妙で、二人のやり取りの面白さが群を抜いている。当たり前のようにワサビを加え、茶碗を持って「凄く熱い」と慌てる様子など、隠居の知ったかぶりの可笑しさも独特。近隣住民が「手当たり次第に無理やり茶の湯を呑ませる隠居と定吉」の噂話をするパートのハジケた可笑しさは兼好ならでは。“利休饅頭”の不味さで誰も来なくなってから定吉の提案で長屋の店子三人を呼ぶという展開は通常とは順番が逆で、この三人が酷い茶に苦しむ様子を無言で描くのが兼好版『茶の湯』のクライマックス。ここであまりの酷さに耐えかねた一人が利休饅頭を口にして捨てに行ってサゲに結びつく。ダレ場を作らず一気にサゲに持っていく見事な演出だ。

兼好の『だくだく』は先生に家財道具の絵を描いてもらう八五郎のリクエストがいちいち面白く、先生が描いたものに対するリアクションの調子の良さも実に楽しい。この家に入った泥棒が“つもり”で盗む様子の嬉しそうな浮かれっぷりを見た八五郎、「いいねえ」と喜んで泥棒と対峙することに。「だくだくっと血が出たつもり」で終わらず、先生が現われて「泥棒、神妙にしろ」と立ちはだかる。「先生どうしたんですか?」「うん、警官になったつもりだ」でサゲ。お見事!

萬橘の『火事息子』は火事の場面から始まり、番頭を手助けしたのが勘当された若旦那だと判明するまでをテンポ良く描くと、番頭が「会ってあげてください」と頼み、旦那が拒絶したところで小僧の定吉が現われ、「なぜ若旦那を勘当したんですか」と旦那に尋ねる。この“定吉の登場”は萬橘ならではの見事な工夫。定吉の問いに旦那が「あいつは臥煙になりたいと言ったから出て行けと言ったんだ」と答える中で“臥煙とは何か”を説明。定吉は「臥煙だからって悪いとは限らない」と反論し、「自分の都合ばかり言うのは親の勝手だ」と迫って旦那をタジタジとさせる。それでも旦那は「勘当したんだから他人だ、私は会わない」と言い張るが、定吉に「他人だからこそ礼を言ったらどうだ」と論破され、息子に再会するという流れ。噺の背景を旦那と小僧の会話の中で説明するという手法の鮮やかさと、小僧に旦那が言い負かされる面白さを“親子の再会”の感動に結びつけるというダイナミックな発想に、萬橘の類い稀な才能を感じた。

次回の広瀬和生「この落語を観た!」もお楽しみに!

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