広瀬和生「この落語を観た!」vol.26

7月24日(日)part2
「娯楽百科 柳枝・寸志の《落語ができました》真夏のSP」@シアタートップス
(7/23に行なわれた会をアーカイブで視聴)

広瀬和生「この落語を観た!」
7月24日アーカイブ視聴の演目はこちら。

トーク「噺家が高座に上がるまで」
春風亭柳枝『引っ越しの夢』
~仲入り~
立川寸志『風呂敷』
トーク「落語四天王について」

「落語がやりたい」は柳枝(当時は春風亭正太郎)と寸志がコロナ禍で落語会ができなくなったときにYouTubeで娯楽百科が配信したコンテンツで、二人が落語のことを話すトーク番組。その後、落語会が可能になったときにトーク&落語の「落語ができました」という会を行なった。今回は娯楽百科の5周年を記念してシアタートップスで3日間6公演開催された興行の1つとして行なわれたもの。

前半のトークは上野鈴本演芸場と新宿末広亭の楽屋がどうなっているか(間取り、席の序列etc.)を柳枝・寸志がボードの見取り図を使って解説。

後半のトークでは「落語四天王について」を、ボードのグラフ(X軸とY軸で作られた4つの平面座標)にそれぞれの芸風を「保守的⇔革新的」「感覚的⇔理知的」という指標を用いて第1象限:圓楽(ネオ古典派)、第2象限:談志(己派/イリュージョン派)、第3象限:圓蔵(ギャグ派)、第4象限:志ん朝・柳朝(作品派)に分け、分析していくもの。

この中で二人は「四天王から柳朝を外して圓蔵(当時は月の家圓鏡)を入れたのは確か山本益博さん」と言っていたけれども、それは間違いで、正しくは川戸貞吉氏。また「最初に四天王と言い出したのは誰だか不明」と言っていたけれども、それは矢野誠一氏。朝日新聞のコラムに「今の若手では志ん朝、柳朝、円楽、談志の四羽烏がいい」と書いたところ、「三羽烏とは言うけれども四羽烏とは言わない。四天王と言うべきだ」との指摘を受け、それ以来この四人を「若手四天王」と呼ぶようになった。

当時、矢野氏はあくまで「若手の中で」という部分を重視してこういう言い方をしていたのだと思うが、志ん朝・談志・圓楽が落語界の中で重きを増していく中で「東京落語の四天王」という意味合いが強くなり、そんな中で川戸貞吉氏が「志ん朝・談志・圓楽に月の家圓鏡を加えて四天王」という説を提唱したのだった。

トークがメインの会だが、落語に関して特筆すべきは寸志の『風呂敷』の全編オリジナリティに溢れる演出。ラストの衝撃的な展開は他に類を見ない。本当にビックリした。「どうなることか」と思ったら、「こう来たか!」という絶妙なオチ。この驚きを大事にしたいので、ここではネタバレを避けておく。

次回の広瀬和生「この落語を観た!」もお楽しみに!

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