広瀬和生の「この落語を観た!」vol.119

2月7日(火)
「けんこう一番!第23回三遊亭兼好独演会」@国立演芸場


広瀬和生「この落語を観た!」
2月7日の演目はこちら。

「けんこう一番!第23回三遊亭兼好独演会」2月7日(火)

三遊亭兼好『犬の目』
三遊亭けろよん『桃太郎』
三遊亭兼好『だくだく』
~仲入り~
佳代子と陽子(トロンボーンとチンドンと歌)
三遊亭兼好『火事息子』

『犬の目』は八五郎が目を患っているので隠居が医者の新井シャボン先生を紹介する形。駄洒落好きなシャボン先生の軽さが格別で、新鮮に楽しめた。

『だくだく』は先生にいろんな注文をする中で「女房がフテ寝してる姿」をリクエストする際のバーチャル女房とイチャイチャする妄想ひとり芝居がバカバカしくて大いに笑った。泥棒が絵に描いた箪笥に手をかけて何とか引き出そうとする仕草の楽しさは特筆モノ。最後は先生が現われて「警官になったつもり」。八五郎が先生に窓の外の光景として「泥棒を警官が追いかけているところ」を描かせたのは、その伏線かも。

『火事息子』の冒頭で兼好は江戸の火消しについて丁寧に解説。「臥煙になる資格」として「背が高くて力が強い」以外に「色が白いこと」「江戸っ子であること」「いい男であること」が必要だというくだりは興味深かった。全身に彫り物を入れるのは「どんな状態で死んでもすぐに身元がわかるから」だという説明にも納得。質屋の若旦那である藤三郎が勘当されて出て行ったことまでを語ってから火事の当日の描写へ。高所恐怖症の番頭のドタバタの可笑しさは、さすが兼好。

臥煙となった藤三郎が会いたがっていると番頭に言われた父は「勘当した倅と会うなんて世間が許さない」と拒み、「うちには息子はいない。赤の他人だ」と言うが、番頭は「赤の他人だからこそお礼を言うのが筋でしょう」と返す。それに対して先代正蔵は「えらいもんだね、なるほどそれは当たり前だ」と手放しで喜び、志ん朝も「お前さんは気が利くね」と素直に受け入れるが、兼好のやり方は圓生と同じく「お前はそうやって私をやり込めて喜んでる。わかりました、会いましょう」と不機嫌そうに受け入れるというもの。この「不機嫌そう」というのは父の「建前」なのだろう。

「顔を出せた義理じゃありませんが」と言う倅に、父は「助けていただき、ありがとうございます。……礼は済みました、どうぞお帰りを」と言った後、こう付け加える。

「何もそんなところで縮こまってることはない。彫り物があるから気が引けるのか? あのね、うちには子供がいないからよくわかりませんが、親ってものは子供が何をしようが、どんな商売だろうが、一生懸命やってりゃ、腹の中では嬉しいものだそうですよ。あなたはそうやって臥煙になったんだから彫り物も必要だったんでしょう。しっかりと働いてるんだ、恥ずかしいことは何もない。堂々としていれば、親は嬉しいものじゃないでしょうかね。縮こまってちゃいけないと思う。こうして会ったのも何かの縁。身体だけはお気を付けなさい」

これは兼好独自の演出で、親心を素直に吐露している素敵な台詞だ。この後で番頭が母を呼びに行って、笑いを交えつつお馴染みの展開になるが、この父の台詞があるからこそ「捨てちまえば誰かが拾っていくだろう」という展開がより感動的に思える。『火事息子』という噺を兼好は進化させた。素晴らしい一席だった。

次回の広瀬和生「この落語を観た!」もお楽しみに!

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