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広瀬和生の「この落語を観た!」Vol.157

2023年12月29日(金)「師走の萬橘」@アトリエ第Q藝術

広瀬和生「この落語を観た!」
12月29日(金)の演目はこちら。

三遊亭楽太『子ほめ』
三遊亭萬橘『文七元結』
~仲入り~
萬橘×和田尚久(トーク)

毎年恒例の「師走の萬橘」で、5日前に初めて聴いた萬橘の『文七元結』を再び聴けた。本人曰く、「まんきつの森スペシャル」での出来に忸怩たるものがあったため、ここでリヴェンジしておきたかったそうだ。そして、そのリヴェンジは見事に果たされた。

萬橘は冒頭、帰宅した長兵衛が「おい、おかね、今帰ったぞ」と女房に声を掛けるところから始める。この、「女房の名が“おかね”」というのは圓朝の原作と同じだが、少なくとも戦後においてそれを踏襲している演者は少ないので、新鮮だ。六代目圓生が持ち込んだ「お久は長兵衛の先妻の子」という設定は用いられていないが、それは大多数の演者と同じ。腰巻がないおかねに「風呂敷でも巻いとけ」と言うと「紋付だからイヤだよ」と答えるのは志ん朝がやっていたやり取りだが、萬橘はそこに「外に干してある隣のおしめを貸してもらえ」というくだりも入れている。女物の着物姿の長兵衛を見て佐野槌の藤助が「半被のほうがよかったんじゃないの?」と言うのも萬橘らしい台詞。この藤助は談志の『文七』のように羽織を貸してくれたりはしない。

佐野槌の女将は「経師屋に商売替えしたんだって? 貼る(張る)のに忙しいって」と長兵衛に皮肉を言うが、これは先代馬生と同じ。ちなみに志ん生と志ん朝は「屋根屋に商売替えしたんだって?」と、微妙に異なる皮肉を言う。女将は長兵衛の左官の腕を誉めながら「できる人というのは、すぐできるから飽きちまってそういう悪いこと(博奕)に手を出すんだ」と言い、「四十の坂を超えても持ったが病でやめられないのか」と責めると、長兵衛は「最初は儲かって家に金を持って帰れると思ったのに、流れが悪くなって金が底をついて、どうしていいのかわからなくなってヤケに……いっそ見捨ててくれりゃ独りで死ねて楽なのに」と泣き言を言い出す。そんな長兵衛に「金を持って帰りゃいいってもんじゃない、人の役に立とうと思って働くことが肝心なんだ。金のために働けば限りはある。でも人の役に立とうと思えば天井知らずだ」と諭す。この台詞が吾妻橋で重要な意味を持つことになる。

五十両貸そうと言う女将に、長兵衛は来年のお盆までに返すと言い、女将は来年の大晦日と提案。お久はそれまで見世に出さないけれど「大晦日を一日でも過ぎたら私も鬼になる」と宣言、亡くなった旦那の羽織の残り布で作った財布に入れて五十両を渡す。このあたりの展開は圓生以来お馴染みとなったものだ。

萬橘演出で最も特徴的なのは吾妻橋で五十両を文七にくれてやる時の長兵衛の振る舞いだ。飛び込もうとする文七を引きとめてわけを聞いた長兵衛は「死んでも金は出てこない。旦那に正直に話して働いて返せばいいじゃないか」と言うが「奉公の身で五十両なんて無理」と言われ、親も親戚もいないと知って「五十両……ちょうどよすぎるよ。お前、佐野槌で見てたんじゃねえのか? ……嘘ついてる目じゃねえな。五十両ないと死ぬのか……しょうがねえなあ……」と考え込み、「人の役に立つために働くか」と呟くと、文七に「やるよ、持ってけ」と五十両を放り出す。「それをお前にやったら来年の大晦日までには返せねえ。俺の娘は女郎になる。その金は俺の娘が吉原の佐野槌って見世に身を売って作った金なんだ」 それを聞いた文七は「いただけません、そんなお金!」と言うが、長兵衛は「俺だってやりたかねえや! 一発くらい殴らせろ、このスッパラベッチョ!」と殴りつけて走り去ってしまう。

つまり、よくある“一旦は説得されて死なないと言うので立ち去ろうとする長兵衛が振り返ると再び飛び込もうとしているので慌てて止める”というくだりや“「どうしても死ぬのなら俺が見えなくなってからにしてくれ」と言って去ろうとするのにいきなり文七が飛び込もうとして困り果てる”といった描写がなく、わけを聞いたあとの長兵衛は立ち去ろうとすることなく五十両をポンと渡している。しかもその際、圓朝以来大抵の演者がやっている「今年十七になるお久が悪い病を引き受けたり死んだりしないように、店の隅に神棚を吊って、金毘羅様でも不動様でも贔屓の神様を祀って祈ってやってくれ」といった台詞はなく、ただ「俺の娘が吉原の佐野槌って見世に身を売った金」と言うだけという至極あっさりとしたやり方。そして、五十両を見知らぬ他人に恵むという行為の動機となっているのが佐野槌の女将の「人の役に立とうとすることが肝心」という説教なのである。

近江屋に五十両が届いていると知った文七が“佐野槌”という名を思い出す場面では、四代目つばめから五代目小さん、そして談志に受け継がれた“番頭が「三浦屋、角海老、半蔵松葉、金瓶大黒、大文字……」と大見世の名を列挙していく”演出。これが今はわりとポピュラーだが、もともと圓朝は文七が普通に覚えていることにしていて、圓生もわりと簡単に思い出させている。志ん生は「金槌って見世」と文七に言わせ、番頭が「佐野槌でしょう」と言い当てるやりかたで、これは倅の馬生が受け継いだ。志ん朝は「吉原のさ……さの……さのなんとかっていう」「佐野槌か!」「そうです!」とやっていた。

“佐野槌”を思い出すまで、命の恩人の手がかりは“女物の着物を着た男”と「スッパラベッチョ!」という謎の言葉だけ。「怪談だ……」と番頭が怯える、というのも楽しいが、さらに傑作なのは、本所達磨横丁の長屋を訪れた近江屋卯兵衛が夫婦喧嘩を頼りに長兵衛宅を探していると「スッパラベッチョ!」と怒鳴るのが聞こえて「ここだ」となる、という演出。長兵衛に近江屋は「日本橋白銀町の鼈甲問屋」と名乗るが、この“白銀町”というのは圓朝の原作どおり。圓生や八代目正蔵はこれを日本橋横山町と変えており、以降“横山町”とする演者がほとんど。文七がお久と一緒になって元結屋を開くのも、萬橘は圓朝の原作どおり“麹町六丁目”にしているが、圓生や正蔵以降“麹町貝坂”とするのが一般的。小さんは“茅場町”で、談志もそうしていた時期がある。

萬橘の『文七元結』は長兵衛のトボケた台詞などで笑いが起こる箇所が多く、吾妻橋もあっさりしていてテンポがいいので美談めいた押しつけがましさがない。演者である萬橘自身の個性も相まって、等身大の長兵衛の“江戸っ子”気質が見事に描かれていて気持ちいい。女将の台詞が決め手で五十両やったのも説得力がある。萬橘ならではの逸品だ。

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次回の広瀬和生「この落語を観た!」もお楽しみに!

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