表現することについて 並木先生がかけてくださった言葉

書いて表現するほうが、喋るよりも、私の場合は随分とラクなのですが、あえて下手な動画を撮って、声を使って表現しはじめて一ヶ月程が経ちました。

この表現によって浮いてくる雑多な周波数は、表面的にはおだやかなものでした。
ですが、とても深いところから、それとわからない感覚で、
とらえきれないほどの不穏さをはらんで、
沈澱していた周波数が、気づくと重くまとわりついていました。

名前も顔も隠さず、友人知人にも隠さず、技術を身につけてからでもなく、
あえてやってみて、私にとって良い挑戦になっています。

以前、
こうして書いたり誰かにみてもらうかたちで表現することは「外向き」だ、とある方から指摘され、道に迷ったことがありました。
その際、並木先生が言葉をかけてくださって、
「大丈夫。表現して。表現して創って、それを誰でもいいから、誰かにみせて。少しずつでもいいから、必ず誰かにみせてね。今回の人生では、絶対大丈夫だから」と勇気づけてくださいました。

その時に教えてくださった、私自身の他の時代のエピソードも、最近浮いてきた根深い周波数に関わっているひとつなのですが、
こうして挑戦して、重い周波数を自覚して統合して、すると芋蔓式に、他の側面もみえてきます。

一体何のために、こんな下手な動画を公開してるのかしら、とふと思い浮かんだりもしましたが、
公開するからこそ、じわじわと、気づいた周波数であり、他の側面でした。

と、そして次は、チャネリングにも挑戦することにしたのです。
私は、周波数をとらえて扱うのは大好きなのですが、いわゆるザ・チャネリングというのはやってきませんでした。
もちろん私達は日常無意識にチャネリングしているといえばしていますし、私自身ワークをおろしたり、感じたことを表現したりはしてきました。
ですが、明確な情報としてうけとって詳細に言語で表現する、ということも積極的に練習してみようと思います。
自分のフィルターへの自信のなさからこれまで避けてきたように思いますし、ここにも表現へのおそれがあったと思います。

いつでもすぐできるわけではないのですが、
今回、’肉体的「不都合」の起点と変転’ ということについて情報として言語化できたので、動画でシェアしてみました。
当然私のフィルターが大いに影響しているはずなので、軽い気持ちで。

話の流れで、前出の、並木先生から具体的に教えていただいた、違う時代の私のエピソードにもふれています。
とはいえ過去世というものも、握りしめる必要はないのですから、まあ話のタネのひとつとして。

お時間があれば、ぜひー。
(喋りも動画作成もすべてが下手ですが、おおめにみてくださいね。)

https://youtu.be/o27VHkWbGTY

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