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走れなかむら

なかむらは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の不動産屋さんを除かなければならぬと決意した(いや、腹は立てたけど実際そこまではなかったです。でも腹は立った、いや、悔しかった)。なかむらには不動産事情がわからぬ。なかむらは元フリーターで、ゲストハウスの宿主である。宿の業務をし、友達と遊んで暮らして来た。けれども空き家に対しては、人一倍に敏感であった。

どうも、太宰治と誕生日が同じなかむらです。
ジメジメした季節には太宰治がぴったりだわ、と思い図書館に行ってページを開いたら、あの有名な冒頭の文章でなぜかメロスをなかむらに置き換えてしまって、あの夜のことを思い出しました。

ーーーーー回想シーンーーーーー

12月に高校の先生から「寮をしないか?」と提案があり、
なかなか理想の物件に出会えないまま時が過ぎ、あっという間に2月半ば。
そんな時、知人がいい物件の持ち主さんを紹介してくれて、快く物件を見せてくれて、とんとん拍子に進み・・・そうになりました。

持ち主さんと、借りる際の条件の話をして、設計士さんや大工さんに内装工事や設備工事の相談をして。
銀行からいくら借りるのか、月々の借入返済などお金の計算をして、家賃がこれくらいなら払えるぞ、という段階まで来た(その物件は、不動産屋さんに出る前の情報で、持ち主さんも「長いこと手付かずの状態だったけど、やっとどうにかできそう、使ってくれる人がいるなら貸すよ」というタイミングだったので家賃の設定がされていなかったのです)。

早る気持ちと新しいことを始めるワクワクする感覚でどんどん前進していた1ヶ月だった。

そんなこんなで3月半ば。
物件探しからなんとかここまで漕ぎ着けて、いざ、持ち主さんと家賃の話をすると、「不動産のことは素人だから家賃の設定なども不動産屋さんを通してお願いします」とのことだった。
「オッケー!そうよね、後から揉めたりしたらイヤですものね」という軽い気持ちで事業計画書や、改修工事をしようとしている図面を持って指定された不動産屋さんへ。
ひと通り「こういったことをしたくてこの物件を使いたい」と説明をした後、「私の収支計画では月に15万円の家賃を納められます!」と提案すると持ち主さんと話してみます、とのこと。
後日、不動産屋さんから電話があり、「家賃の相場はあなたの言っていた15万円の倍である30万円が妥当な額だと思うよ」と言われた。
周囲の人にも、15万円が安過ぎない・失礼じゃない金額か相談して出した答えだったけど、サラッと倍の額を言われて、瞬時に「やはり私は世間知らずなんだな〜」と思った。
次の瞬間には「月々に30万円も払えない。もう寮できないかも」と泣きそうだった。
既に3月半ば。また物件探しは振り出しに戻るのか…市内の目ぼしい物件は友人たちが情報をくれて、チェックしていたけれどなかなか最低限の条件すらクリアできる物件がない状況で、今回の物件の話が進んでいたのだ。
友人とは言え、設計士さんや大工さんにも時間と労力をたくさん割いてもらっている。どうにか月に30万円の家賃を納められないか計算し直してみたけどかなりカツカツ。

不動産屋さんの提示した家賃が妥当とは思えないし、経年劣化による建物の修繕もこちらが一部費用を負担するので決して悪い条件ではない、入居の内容も地元の県立高校の剣道部の学生寮が主な使い道となればそんなに悪い話ではないと思っての提案だった。

余談ですが・・・
私は横浜市のニュータウン育ちで、クラスの大半が親の就職や転勤で入学してきている子ばかりの小・中学校で育った(私もその1人)。高校になれば公立7校+関東圏内の数多ある私立の中から進学先を選択する。
一見、選択肢が豊かなようにも思えるけれど、郷土愛という意味では不足している(当時はそれが当たり前と思っていたけど今考えると都会的だな)。
だから佐伯に移住してから公立高校でスポーツ選手や有名人を多く輩出している佐伯鶴城高校のことを地域の人が誇らしげに話すのがすごく好きだった。
年配者と若手の「どこの高校なん?」「鶴城です!」という時に漂う誇りみたいなものが好きで、これは若い時から培っていないとできない誇りだよな、と思って勝手に嬉しくなっていた。
ニュータウン育ちで、個性至上主義みたいな中で育った私にはあまりない感覚で、郷土愛のようで羨ましいとも思っていた。
・・・余談終わりますが。

だから「佐伯鶴城高校よ?剣道部よ?顧問の先生の人望すごいのよ?市外から来てくれるのよ?地元の高校のためだもん、寮やらせてくれるよね?」という驕(おご)った気持ちになっていた。
「家賃30万円」と言われて、瞬間的に凹み、しぼんだ風船のようになった。
その日もいつものように高校生の夕ごはんの下ごしらえを済ませ、夕方に犬の散歩をしていたら悔しくなって涙がこぼれてきた。すれ違う近所のおばちゃんも心配そうに見守ってくれた(絶対「ヤバいやつ」って思われたと思う 笑)。

その夜は、佐伯を研究対象のひとつにしている大学の教授が来佐予定で、佐伯の友人たちとその教授を囲んでの食事会を予定していた。東京から年2回ほど佐伯の移住や起業などの動きを調査しに来る貴重な機会で、年齢も近いのでフランクな話から専門的な話まで楽しく気兼ねなく話せる友人のような教授だ。
みんな、その教授と話せるのをとても楽しみにしている。もちろん私も。

だけど、犬の散歩をしても家賃のことで気が晴れず「今日の食事会、行けません。すみません」と夕方になって連絡。

だけどその後、高校生に夕ごはんを出して、片付けをしていたら無性に腹が立ってきた。
こんな可愛くて、毎日勉強と部活頑張ってる若者たち、人生の後輩たちの暮らす場所作るって言ってるのに30万円?収支計画見せただろう!払えないのわかって言ってきてるじゃん!ふっかけやがって!くそおおおお!
バカにすんなよおおおお!今まで5年以上放ったらかしにしていた空間だろう?貸してくれたっていいじゃないか…!郷土愛はどこいったんだよううう!大体、相場って、何十年前の話しとんねん!人口も減って、どんどん空き家増えてる時にどういう心意気でそんなことを言えるんだ!

という気持ちで、「やっぱ食事会行こ」と気づいた時にはそのお店の扉の前。

勇み足で入店。「行けたら行くね」でも「遅れて行くね」でもなく「行けない」と言っていた奴が急に現れ、少し驚くみんな(8人くらいいたと思う)。

教授への挨拶もそこそこに、ここ最近の流れを話し、日本酒をぐびぐびと飲んだ。

みんな、見守って、話を聞いて、アドバイスとか「次の物件探そう」とか言って励まそうとしてくれたが、それすらも「きみ達は当事者じゃないから私の気持ちなんてわからないんだ!」と跳ね除けた。扱いにくいことこの上ない酔っ払いだ。
後日、その場にいた友人の一人が「あれは、口を開いた奴がなかむらさんからぶん殴られる(比喩表現ね)だけの危険な会だった」と言っていた。

翌朝、友人や教授にとても悪いことをしたな、と思い皆さんに謝罪の連絡。
ただ、怒りや悔しさを全部出し切ったせいか非常にスッキリとしていた。

不動産屋さんの言う ”相場” はあくまで ”相場” なので持ち主さんに直接電話して最終確認をした。
「不動産屋さんには30万円と言われました。持ち主さんの意向も同じですか?」と聞くと
「不動産のことはわからんのよね。ここから先の話は不動産屋さんに全部任せるけん、わからん」と言われてしまいました。

街のこと、住んでいる地域のことを他人ごとと思っているどころか、自分や自分の家族が持っている土地や建物ですら他人事なのだと、すごく虚しい気持ちになり、「持ち主さんが必要な額を言ってくれたらそれが家賃になるのですよ」と言いかけて、もう説得する気も起きなかった。

その建物を見る度にモヤモヤが残っているけれど、どうしようもない。
前に進まなければいけない。置いてけぼりになった素敵な建物たちを見過ごさなければいけない。辛すぎる。

話をする中できっと私は信頼に値しなかったんだと思う。
もっと気持ちのいい関係性、築けたのかな。
いや、これが空き家問題のうちの1つなのかな。
何がいけなかったんだ。今も答えはわからないけど、暮らしやすい寮を作るために前に進まねばならぬ。

よりよいゲストハウスにするために使います。例えば、宿泊のお客さん向けの近隣ごはん屋さんマップを作ってみたり。