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どんなことがあってもシャッターを開け続ける

覚悟と意地と、ちょっとした戦略の話

改めてISANAで、中川雅之さんとなぎささんのお二人から、家具を買って良かったと思ったのでした。我が家はダイニングテーブル、テレビ台、そして表札がISANAなのですが、どれもさらに愛おしくなったのです。

どうして?雅之さんがスピーカーを務めた「ISANA的地域コミュニティ概論」を聞いたことで、思いが強くなったのです。最後にスピーカーの雅之さんは照れくさそうに、こうまとめました。

「シャッターを開け続けただけですから」

言葉にすれば僅か一行。だけど、その裏にどれだけの苦労があったのか。恐らく聞いた話以上の涙や葛藤があったはずです。ストーリー性のある共感マーケティングが全盛で、ボクもそのような方向性で文章などを書くのですが、野球が筋書きのないドラマと言われるように、意図せずに紡がれたISANAのストーリーに泣きそうになりました。実際、泣きましたが。

雅之さんとなぎささんが営む喫茶室と家具・染色のショールームを兼ねたお店は、新潟市の人気スポット、沼垂テラスにあります。朝市に夜市と催しを行えば、通りは人で賑わいます。でも、最初から人通りがあったわけではもちろんなく、ISANAの開店当時は土日に店を開けてもお客さんはゼロ。なぎささんはカウンターの隅で泣き崩れたそうです。

まち自体に知名度がなく、「ゴーストタウン沼垂」に店を構えることに周囲は大反対。でも、沼垂の最盛期を知る、おじいちゃんたちの寄り合いで、「ひとつでも(閉じた)シャッターを開けたい」という思いに共感した雅之さんは、当初の計画から大幅に路線変更を決意します。

土日にお店を開けてクラフト教室などを催し、平日は創作活動とバイトにあてるのを止めます。意地でもシャッターを開け続けようと覚悟を決め、実行に移します。でも……思い描いたように事は運ばず。水道も電気も止められる日々が続きます。

この当時を思い返したなぎささんは、「覚悟が足りなかった」と涙をぬぐいながら振り返りました。ただ、お店を営んだことで、お金を稼ぐ意義や、ご飯を食べるにはどうしたらいいのかを学んだ、と言います。思わず流れた涙には苦しかった、という思いだけではない、今となっては大切なモノがあったのでしょう。

沼垂に店を出して5年経ち、ようやくスタッフを雇えるように。チームで働くことを考えていた2人にとって、やっとスタート地点に立ったかと思われましたが、なんと!予想もしないトラブルが起こり、「一番の暗黒時代」(雅之さん)が到来。ISANAの他に店舗が増えつつあっただけに、かなりの痛手だったそうですが、運も味方して沼垂テラスの店舗は20にまで拡大。前述したように、新潟市のオシャレスポットになります。

まちの知名度が飛躍的に伸びたとはいえ、平日に朝市や夜市ほどのお客さんが来るわけではないそうです。本音は「シャッターを開けたくない」と雅之さん。でも、続けてこう言い切りました。

「(シャッターを)開けるんです。死なない限りは」

軽い気持ちで飛び込んだ沼垂で、熱い思いを抱いた人に出会い、覚悟を持って意地でもシャッターを開け続け、今では多く人に愛されるお店に。大阪や東京よりも地方都市・新潟の方が注目され、軌道に乗るのも速いという思惑は外れたが、だからこそつながった縁や、お金では買えない経験があった。

意地と覚悟と、ちょっとの戦略で推進力を得たISANA。これから先、どのように沼垂というまちと共に歩んでいくのだろう。ボクも死なない限り、ISANAのいちファンとして、その一挙手一投足を目にしたいと思う。

おもいのままに。続けます。今日も呼吸ができた。ありがとう!


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