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#島田潤一郎さんに会いに行く

本を読むことを考える日に

その人は、体操をしていた。

入口で受付を済ませ、会場に向かう時だった。その人、島田潤一郎さんは、柔軟体操をしていた。5分後に始まるトークイベントに向けて体を解していたのだ。

「こんにちは!」。はじめて聞く、憧れの人の声。思いが強すぎてフリーズしてしまい、すぐに言葉を返せなかった。日本代表経験者のJリーガーにも緊張しないのに。

やっぱり好きって、憧れって尊い。自分が普段は経験しない感情、行動をしてしまうから。こんな気持ちになるんだ、こんな風に体が反応するんだと驚く。その体験が、また楽しい。すぐに言葉を返せずに、すいませんでした。

イベント会場でお会いすると思っていた島田潤一郎さんに、入口でお会いするという想定外の出来事から6時間の「本を読むことを考える日」は始まった。

危機を乗り越えるために本を読んできた

Bar Book  Boxさんの5周年記念イベントに、島田潤一郎さんはゲストとして招かれた。Bar Book  Boxさんのお名前は知っていたけど、お店にお邪魔したことはなかった。Instagramでたまたまイベント告知を目にしたことが参加のきっかけだった。

告知を見て居ても立っても居られず申し込みをしたけれど、受付の参加者リストを目にした時にボクが一番ではなかったことが分かる。どうでもいいけど、少し悔しかった。

ここ最近は、夏葉社を知ってから島田潤一郎さんを知ることが多いそうだ。例に漏れず、ボクもその口だった。島田潤一郎さんと山崎ナオコーラさんが編んだ『かわいい夫』が、はじめての”出会い”だった。

その頃のボクは、とにかく人生に倦んでいた。何もかもが嫌で嫌で仕方がなかった。はじめて、死を意識した時期だった。妻にも直接伝えたことがある。「もう、死にたい」。今ではとても恥ずかしいが、オカンにも電話口で言ってしまった。「もう、嫌だ。死にたい」と。

二人とも引き留めなかった。妻は否定せず、「あなたが死ぬなら、私も死ぬ。置いては行かせない」と言い切った。その言葉に救われた。そして、『かわいい夫』にも。

当時、ボクは「~しなければならない」「~であらなければいけない」という思いが強かった。マストがたくさんあった。社会人として、親としてしっかりしないといけない。時間は守らないといけない。朝食は食べないといけない。朝食を食べたら排便しないといけない。遅刻しないように余裕をもって出勤しなければいけない。嫌いな人にも挨拶をしなければいけない。土日は掃除機をかけなければいけない等々。一日24時間にマストがつまりまくっていた。

やらなければいけないこと、こうあらねばならないことに締め付けられ、感情がこんがらがった。ついに息苦しさが限界を超えてしまった。そして、病んだ。

『かわいい夫』は、一般社会とくくられる世の中で生きにくさを感じながらも、自分らしく生きる夫を肯定する山崎ナオコーラさんの優しさで満ちあふれている。妻の「私も死ぬ」には、同じような思いが含まれていたように思う。

島田潤一郎さんは「危機を乗り越えるために本を読んできた」と言った。「体力を養うため」と付け加えもした。その言葉が体にスーッと入ってきた。苦しい時、辛い時、悲しい時、ボクの傍には常に本があった。

読書に夢中になることがなく、元々は本が好きじゃなかったという島田潤一郎さん。読書に対する本質が共通していたことが嬉しかった。

親しかった従兄の32歳での自死。想像を絶する体験を経て、叔父と叔母へ本を作りたいと思い立ったのが夏葉社のはじまり。本を作る過程で「死を受け止められた」と島田潤一郎さん。本には絶望や挫折を乗り越える力があると実感できた。うれしかった。

年を取ると本を読むのが難しい

想像していた通り、ゆったりとした雰囲気の島田潤一郎さん。話すテンポはゆっくりで、饒舌に語ろうとしないところに好感が持てた。取り繕わない潔さに大人のカッコよさを見た。

指が細かったのは意外だった。ひとり出版社だから発送作業など力仕事もあり、てっきりぷっくりした指だと思っていた。でも、実はほっそりとしていた。日焼けしていたことにも驚いたが、秋峰善さんの『夏葉社日記』で島田潤一郎さんは自転車通勤だと書いてあったのを思い出す。外された時計のところだけが白く、日焼けしていなかったのがかわいかった。好かれる人は、どこか愛される箇所がある。

「年を取ると本を読むのが難しい」と島田潤一郎さんは言った。それを聞いた時、すぐに理解できなかった。年を取れば読書経験が豊富になり、ボキャブラリーが増え、難しい本を読んだ経験が「読書力」も養うはず。なのに、なぜ?

島田潤一郎さんが言いたかったのは、人生経験が作者が紡いだストーリーの邪魔をするということだ。例えば、受験や就活。そこで苦労する話が書かれていたとする。それを自分に置き換えると、作者が書いたことよりも大変だったり、あるいは楽だったりすることがある。すると、作者と作品に対する過小評価が生まれる。ボクの感覚で言うと、舐めてしまう。

お仕事小説など、実際に経験したことがストーリーの根幹を成すものに対しての評価は厳しいように思う。若い頃の方が素直に読めたし、共感もできた。経験が邪魔をすることもある。読書に対する、新鮮な気付きだった。

脅かされる読書と脅かされない読書

何事にも冷静で、優しい眼差しを向けているように見える島田潤一郎さん。唯一、許せないことがある。それは、先輩編集者に若ハゲについて馬鹿にされたこと。これも、意外だった。本を作る上で関係ないと思ったし、実際に関係ないだろう。でも、個人的には許せない、踏み込まれたくないナイーブな事柄に対して、ずけずけと土足で上がってきたこと、暴力的な言葉を投げつけられたことに激怒したそうだ。

ネガティブなことを茶目っ気たっぷりに語った島田潤一郎さんには、脅かされる読書と脅かされない読書があるそうだ。自分の中にある核、価値観といってもいいかもしれない。それを激しく揺さぶってくる本を読むことが、文字通り脅かされる読書。こう書くと悪いことのように映るが、「(考え方が)思わぬ方向へ変わる」(島田潤一郎さん)ので刺激的な体験だと言える。

一方、脅かされない読書とは、感情に揺さぶりをかけてこない読書。それは良い本だとは言えないが、存在する価値がないかと言えば、ボクはそうではないように思う。いい人がいて、悪い人がいるから、いい人が際立つように、脅かされないからこそ脅かされた時の衝撃が得難いものになると思うからだ。それに毎度、脅かされていたら読書に疲れてしまうだろう。必要悪ではないが、脅かされない読書も、また必要なのだと感じた。

自分の孤独と通じる

今回のイベントに参加するのと同時か、少し後に旧Twitterのタイムラインに秋峰善さんの『夏葉社日記』に関するポストが流れてきた。夏葉社の文字に食い付き、内容を確認せずに購入した。

そこには島田潤一郎さんのもとで過ごした、秋さんの日々が綴られていた。以前も書いたが、島田さんと秋さんが抱くのと同じ感情を、ボク自身も感じていたことがうれしかった。島田潤一郎さんも言う。

「ボクが見たものと同じものがある。同じように見た光とか」

本の中で作者が綴ったことと同じ事柄があると、自分が肯定されたように思い、思わず微笑んでしまう。プラスでもマイナスでも、そこは問題ではない。激怒した時の感情や嫉妬。自分だけが感じていたと思っていたことを、相手(作者や作中の登場人物)も感じていることがうれしいのだ。自分だけじゃない。ひとりじゃない。「自分の孤独と通じる」。島田潤一郎さんは、そう表現した。

何も探していないようで、実は何かを探しているのが読書なのかもしれない。そう思った瞬間だった。パズルのピースがひとつ埋まった心地よさを感じた。

問いがあることは生きている証拠

紹介したい言葉はたくさんあるけど、自分の中で味わいたい気持ちもあるので、ここらへんで止めようと思う。島田潤一郎さんをゲストに迎えたトークショー、おやつの時間(羊羹が美味しかった)、哲学対話と濃密な6時間のイベント。その最後にマイクを渡された島田潤一郎さんは、こう言った。

「問いがあることは、生きていることだと思う」

今ならば自民党総裁選。なぜ、推薦人が20人必要なのか。なぜ原発再稼働が必要なのか。なぜ岸田文雄は外遊して有事の能登に駆け付けないのか。なぜ、憲法14条は法の下の平等を謳うのに、不平等ばかりがのさばるのか。

ここ最近、なぜ?今風に言えば、はて?が増えている。今までならば、「はい、そうですか」「なるほど、そうなんですね」で聞き流してしまったことが引っかかる。スルー出来なくなっている。問いが湧き出ている。生きているのだ。

『かわいい夫』を読んでいた頃と比べて精神的に安定し、定期的な収入があることが大きいと思う。心が塞いだり、どうしようもない絶望を感じた時には、やはり自分の事ばかりに目が向いてしまう。ボクは読書ができたけど、それすらできない人もいるだろう。

問いを発生させるには、ある程度の心の余裕が必要だ。さて、今はどうだ。周りを見ると余裕がない人が多いように思う。ボクだってそれほど余裕があるわけではない。シングルマザーやワーキングプアなど生きることに全力を注いでいると、疑問に思うことすら邪魔になる時がある。実際にボクも経験がある。

豊かになると政治家は困る。なぜか?国民が疑問を抱くようになるからだ。だから、その余裕を奪おうとする。気を付けなければならない。哲学対話の中でボクが挙げた「活字離れは本当か?」に対する問いには、様々な答えが出た。「ネットを見る時間はある」「本を読む時間は減っているが活字離れとは言えない」という話で盛り上がった。そうなのだ。活字離れは進んでいない。正確には、読書離れが進んでいる。活字離れという事実のような事柄も、一種のメディアによるコントロールなのかもしれない。

貧すれば鈍する。まさに、そうなのだ。鈍くなるように誘導しようとする流れに対して、なぜ?はて?と考える時間と体力を養い、備えておく必要がある。

問い続けることは、生きていること。

島田潤一郎さんからいただいた箴言。大切に胸にしまっておきたい。

おもいのままに。続けます。今日も呼吸ができた。ありがとう!

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