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#シャッターを下ろす

白黒が好き

感情のシャッターを下ろしてしまうことが多々ある。簡単に言えば、物事を白黒で判別してしまうのだ。

例えば、今ならば小池百合子東京都知事。学歴詐称、拉致被害者への心無い発言、豊洲移転での騒動、低クオリティなプロジェクションマッピングへの数十億への無駄遣い等々。とにかく、政治家としての理念が皆無で、「政治家」というアクセサリーが欲しいだけの人間が、都政のトップにいることが許せないのだが、きっとおそらく少しくらいは8年も知事を務めていれば都民にとってプラスなことはしているはずだ(と信じたい)。ただ、ダークサイドばかりが目に付くので、明るい部分が目に入ってこない。

この人は、もう、無理だなとシャッターが下りてしまう。

旧ジャニーズのタレントもそうだ。昨晩スタートしたドラマ「笑うマトリョーシカ」に出演していた嵐の櫻井翔。宮藤官九郎が描いたドラマ「木更津キャッツアイ」の頃はスマートでカッコイイと思ったが、ジャニー喜多川の性加害が明るみになった際、キャスターであるのに問題に対して真摯に向き合わず、いまだに目に見えない力によって守られている。その側面が見えた途端にシャッターが下りてしまった。

この人が、戦争や貧困について語ったところで、全てが上滑りだなって。

身近なところでいえば、親しく成った友人の嫌な面が見えた時。波が引くように、サッと思いが冷めてしまう。そうなると、関係性をすぐに断ちたくなる。断つ必要もないのに。まずSNSへの反応をしなくなり、徐々に連絡を取らなくなる。シャッターが下りてしまうので、感情が全く動かないのだ。

あまり好ましいとは思っていない。人間は多面的でいいところもあれば、悪いところもある。もちろんボクなんて、だいぶマシにはなったが気分屋なので周りに迷惑をかけることが多々ある。特に、家族。妻、ごめんなさい。シャッターを下ろされても仕方がないが、我慢強く一緒に住んでくれている。心からありがとう。感謝します。

自分が多面的だと思うのに、人の多面性を許せないってわがままだなって。もちろん嫌いな人はいるし、好きな人にも嫌いな面はある。外食時に妻が、ボクが食べているものを一口ちょうだいとねだるのには、いまだに慣れない。一瞬でシャッターを下ろせる。

それでも家族だからだろうかシャッターは自然に開いていく。家族にできることを周りの人にもやっていこうと思う。慈善活動をしているような団体も、実は裏ではえげつないことをしているわけで、企業だってみんながみんな正しいことをしているわけではない。たしか、会社で個人携帯の充電をするのも、実はルール違反らしいと、どこかで聞いた覚えが。心当たりのある方、いらっしゃるのでは?となると、みんなが聖人とは限らないわけで、勤務時間中に頻繁にタバコを吸いに行く社員も、私用携帯を充電している社員にも同時に苛立たなければならず、ヘビースモーカーだけに憤慨していても仕方がないのだ。

白黒はっきり区別をつけると楽ではあるが、グレーな部分を見逃してもいるし、黒の中にある白を見逃しているともいえる。なるべく即座に白黒の判断をしてシャッターを下ろすことなく、地面に付きそうで付かないくらいのほんの僅かな心の隙間は空けておきたいところだ。

おもいのままに。続けます。今日も呼吸ができた。ありがとう!

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