おもしろきこともなき世をおもしろく

座右の銘、と言うとカッコつけ過ぎかなとも思うのだが、私は高杉晋作の遺したこの言葉が好きだ。
高杉晋作をはじめとする幕末の志士達は、多くの小説や映画、ドラマの題材として取り上げられてきた。
若くして決意し、大きなものと戦った彼らの人生は、脚色はあるだろうが、ドラマチックなものだと感じる。

そんな、ドラマチックな人生を歩んだように見える、物語の主人公格だと思っていた人物が、自分の生きた世の中を「おもしろきこともなき世」と言った。
後々の人間からしたら高杉も彼が生きた世の中もドラマ性に満ち満ちているように思うが、高杉本人からしたら、面白いことなんてろくにない世の中だけど、それでも面白く生きてやったぞ!という心地だったのだろうか。

もうすぐ、平成が終わる。

平成は、面白かったか?
そう聞かれたら、何と答えるだろう?

毎日家と会社を往復し、タスクをこなしてサラリーをもらう日々。
政治家はロクなことをしないし、盛んに叫ばれる働き方改革もどうどうなることやら。
平成最高!平成楽しい!とは、私は言えそうにない。

だとしても、世の中がつまらないのではなく、もしかしたら世の中をつまらなくしているのは自分かもしれない。
いや、確かにそこまで面白い世の中ではない、かもしれない。
でも、自分はその世の中で、面白く生きようとしているか?
面白くするために努力したか?
面白くするために動いたか?

少なくとも私は、何もできていない。

面白くしようともしないで平成つまらねー、とか、会社つまらねー、とか、人生つまんねー、などと言うのは、不誠実な気もしてしまう。
世の中に、会社に、人生に、期待し過ぎてはいないか?

小説にしろドラマにしろ、そのストーリーを面白くしているのは間違いなく人だろう。
自然が起こす奇跡も、災害も、人の営みとは切っても切れないものではある。
自然の営みも、時にドラマチックで面白い。
だが、人ほど感情に溢れ、様々なことを考え、様々な発明をし、様々な悪行を働いたものは他にいなかった。
人は、人間は、ドラマの塊だ。
人によって、ドラマの大小、多寡はある。
それでも、何一つとしてドラマのない人は、きっといない。

何の面白みもない、舞台装置も何もない殺風景な場所であっても、人が動くことでいくらでも面白くできる。
その舞台に何の面白みもないのだとしたら、それは人のせいだろう。
舞台装置に、期待し過ぎてはいけない。
優れた舞台装置があればいい舞台ができるか?
舞台装置だけが立派でも、しらけるだけだろう。
結局は、人。
その舞台に生きる、私たち人間。

平成が終わり、新たな時代が始まる。

新たな時代、未知の時代。
少しでも面白く生きたいではないか。

平々凡々な人生、つまんねー人生。
たとえ今そうだとしても、その人生が、人が持つ可能性は、未知数。

おもしろいことなどない世の中も、おもしろくできる。
まだ本気出してないだけ。負け惜しみではなく。
あの幕末でさえ、そこに生きていた人からすればおもしろきこともなき世、だったのだ。
私たちの生きる今この時代だって、もっともっと面白くできる。

新たな時代、どう生きてやろうか。

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