罪悪感について
罪悪感って、どうしてますか?
罪悪感のない人っているのかなあ。
どうしても持ってしまいがちですよね。私だけかな。
罪悪感に駆られる思いをどうしたら良いか。
村松先生に、「ワクチンを打つ側の仕事をしている人からの質問」
ワクチンに関しては、それぞれの考えがあるので、そこではなく、罪悪感そのものに関する考え方を話されていました。
罪悪感をなくしたり消す必要はない。
罪悪感を持っている所に、「あ〜私って、だめだなあ」とダメダメフォトンを重ねると余計に辛くなりますからね。これは
批判の行動に → 批判Hz周波数をかけると → 批判の世界に入って行く
という図式になるからです。
罪悪感があるからこそ、私に何が出来るかを考える。
愛を根底に「じゃあ、それを知った私だったら何ができるか」だということです。
本質を響かせて、本質は愛しか伝わらない
愛の行動 → 愛Hz周波数 → 愛の世界に入って行く
これには
に言い換えると良いとされていました。私の場合に当てはめてみます。
私の罪悪感は、子育てについてです。
自分の子供時代は親に対する不平不満や不足感で満ち溢れていましたから、自分の子供には!という思いが人一倍強く、それなりに頑張ったつもりでしたが、思うようにいかないものですね。
村松先生によると、まず私の罪悪感は消さなくて良い。
その罪悪感を持ちつつ、この私に何ができるだろうか?を考える。〇〇のせいで
ではなく、
「〇〇のおかげで〇〇」に当てはめてみる
子育てに罪悪感を持っている おかげで
子供は自分の分身でも持ち物でもないことを知った。
子供は、自分の承認欲求を満たすものではないと知った。
自己啓発の勉強をして、自分を高めようと努力している。
意外と出てきました。
それに前向きな気持ちとなるものですね。
じゃあ、次は、それを知った私だったら、
何ができるかを 愛を根底に考える
よく先生が言われている、雲の上のZPF側から愛感謝の側から考えるということですよね。
う〜ん、とっくに成人して独立していますので、今更何ができるでしょうか。
では、
子供の幸せを祈ります。そして祈りのフォトンを飛ばします。
目一杯愛したし、今も変わらず愛しているよのフォトンを飛ばします。
これで罪悪感消さずに、
愛の行動 → 愛Hz周波数 → 愛の世界に入って行くことができるのでしょうか。
時折浮かんではしんどくなる罪悪感。
罪悪感が浮かんできたら、この方法で乗り切ってみようと思います。変化があれば、またご報告します。
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