嘘と秘密の臨床的知見
大人は子どもに「嘘をついてはいけない」と言うし、子どもが親に何か「秘密」の隠しごとをしていると咎められたりする。
けれども、ベタに「嘘がいけない」とか「親に秘密があってはいけない」というのはやはり病的であるのです。
むしろ、秘密を持つことは子どもが親から自立するときに、儀式的と言ってもよいくらい大切なことでもあるのです。
しかしここでも、ベタに秘密を理解すると、一歩間違えれば子どもが不良少年・少女の道へと進むことになりかねないので、要は、私たち大人が「嘘」や「秘密」について全人的に成熟したかたちで理解することのように思うのです。
心理学者・河合隼雄の『子どもと悪』という本には「嘘・秘密・性」という章にはこんな風に書かれています。
つまり、ちょっと前までの日本人の人間関係のつくり方というのは「私がそう思うのだからあなたもそう思うでしょ」的な、あるいは「自分がやられて嫌なことは人にはしない」的なもので、一心同体的であることが美徳でしたし、「忖度すれば他人の気持ちはわかる」ということが暗黙の前提でもあったわけです。
けれども、もはやそれは病的になってきていて、今日でいうところの共依存やDV、自己愛性パーソナリティと深い関係があると感じます。
臨床的に言いますと、共依存関係やDV関係にある人たちは、二人の間に「秘密」を持っていて、周囲の人たちに対して「嘘」をついていることが多いのです。
この知見は、私は決定的に重要な気がしています。
ひとりで「秘密」を抱えることができずに(マインドが子どものため)、パートナーを巻き込むのです。
共依存やDVから離脱するには握らされている「秘密」を第三者に開示することが重要な契機であって、このときに第三者がセカンド・ハラスメントにならないことがほんとうに大切です。
つい数年前まで、私たち日本人は、何でもあけすけに話していないと「水臭いよぉ」などといって、何でも「ぶっちゃける」ことが、親密さの証であるような感覚がありました。
けれども、親密な関係を適切にキープするには「水臭い」ことこそが大切なのです。
例えば、私たちが相手に何か秘密にしたいことがあれば「いまは話したくない」と伝えること、そしてそれを聞いた相手は「そうか、わかった。話せるようになったら話してね」と、そういうやりとりができるのが健康的で成熟した関係であると思います。
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