1月　木の枝　石ころ　道の終わり

その日は霧みたいな粒子の細かい雨が朝からずっと降っていた。窓を開けて目を凝らしてみてようやく降っていることがわかるような、そのくらい細かくて静かな雨が絶えずずっと。

特に予定のない暇な週末だった。寒いし雨も降っているから、私は出かけたくなくて、ずっと布団の中で本を読んでいた。途中で眠たくなったら目をつむって寝て、目が覚めたらまた続きを読んだ。

最後に目を覚ましたとき、日は暮れていて夜になっていた。布団から出て、窓を開けて顔を出してみると、空気は冷たく澄んでいた。やっと雨は止んだようだった。遠くの、よそのお家の灯りを見つめる。いつもと同じかたち、同じ色の窓明かりたちが、暗闇にぽつぽつと浮かんでいる。

なんだか熱い紅茶が飲みたかった。それでお湯を沸かすと、肝心のティーバッグを切らしていることに気付いた。私はがっかりして、仕方がない、紅茶は我慢しようと思って、でも、時計を見たらまだ７時だったので、やっぱり買いに出ることにした。雨も止んだみたいだし、一日中どこにも出かけていなかったから、ちょっと外の空気にも触れたくて、散歩がてら。

家を出るときに、ふっと自動販売機のことを思い出した。

さっき窓の外を見た時も、その自動販売機の灯りが見えた。行こうと思っていたコンビニとは逆方向だけれど、家からはどちらも同じくらいの距離だ。

ティーバッグを買ってきて家で自分で淹れたほうが美味しいのかもしれないけれど、たまには自動販売機で缶のものを買ってみてもいいかもしれないと思った。さっき窓から見た自動販売機の灯りが、なんだか綺麗だったのだ。ひと気のない道にポツンとあって、寂しげで。

★

その自動販売機に辿り着いたら、当たり前だけど、ごく普通のどこにでもある自動販売機だった。それでも私は満足した。さっき窓から見た綺麗な灯りの場所にきたんだと思って、楽しい気持ちになった。

ホットの紅茶を買って、両手で包みこむようにして持ち、カイロ代わりに手を温める。

せっかく外に出てきたのですぐに帰るのが勿体無くて、自動販売機の隣に立って、灯りに照らされた目の前の景色を眺めた。

雨が降ったあとの、濡れて黒く光るアスファルト。
その上に散らばる、葉っぱや木の枝、石ころ。

★

遠くの暗がりから、こちらへ歩いてくる人の気配がして、私は身構えた。

（私はいつも、夜に外で一人でいるときは、もし変な人が近づいてきたら逃げないとと思って、警戒するようにしている。）

男の子と、後ろからもう一人、女の子が歩いてきた。

二人とも手にしたスマートホンの画面を覗きこんでは顔を上げて、きょろきょろと周りを見渡すという動作を繰り返している。なんだか道に迷っている様子だった。二人は、私がいる自動販売機の前まで来ると、そこでぴたりと立ち止まった。

「やっぱりこの辺りだ」

「でもそれらしき店はないよね」

すると女の子の方が私を見て、少し遠慮がちに話しかけてきた。

「あの、ここら辺に住んでる人ですか？」

「ええ、まあ…」

「この辺に変わった喫茶店があるって聞いてきたんですけれど、知ってます？」

「いや、喫茶店は、ちょっとないと思いますよ。見ての通り、この辺は家か畑しかないので」

私は長らくこの町に住んでいるけれど、この辺に喫茶店があるだなんて、見たことも聞いたこともなかった。

「でも、地図を見ると確かにここなんですよね…すみません、ちょっと見てもらってもいいですか？」

そう言って女の子が差し出してきたスマートホンを見てみると、グーグルマップが表示されていて、目的地は確かに、今私たちがいる場所のようだった。

「本当だ。ここですね」

男の子のほうは、さっきからずっと神妙な面持ちで、グーグルマップが示している自動販売機の方を見つめている。

私は申し訳ないけれど、この二人のお役には立てそうにないなと思って、この場から、そっと立ち去ろうとした。

「もしかしたら地元の人も知らないのかもしれないよ」

男の子が女の子に向かってそう囁くのが聞こえた。私はすでに背中を向けて歩きだしていたけれど、気になって、こっそりと聞き耳を立てた。

「新月の夜にだけオープンしている喫茶店だなんて、人に隠れて、個人的にやっているのかもしれない」

新月の夜…？
今日は新月だっただろうか。そういえば月は見ていないけれど、雨が降っていたせいで雲があって隠れているだけなのかもしれないし、よくわからなかった。

家に帰る途中、私はずっと胸がどきどきしていた。それは不安などきどきではなくて、どちらかというと楽しいどきどきだった。

すると今度は、誰かが後ろから走ってくる音がした。

「すみません、ちょっと待ってください！」

私はびっくりして立ち止まった。振り向くとさっきのカップルだった。
走ってきた二人は、息も絶え絶えに私に言う。

「ラプサン・スーチョン！」

「えっ、なんです？」

「ラプサンスーチョン、っていう珍しい紅茶があって、それが飲めるらしいんですけれども、もしかしてそれが合言葉だったのかなと思って」

「あの場所はやっぱり合ってて、だから、あなたはお店の人なんじゃないかなと思って、僕たち追いかけてきたんです、違いますか？」

どうやら誤解されているようだった。私は困惑しつつも、ここまで全力で走ってきた二人にちゃんと説明しなければと思って、どぎまぎしつつも答えた。

「違いますよ。私はただあの自動販売機に用があって、行っただけの者です。なので、お店のことはなにも知りません。期待外れで、申し訳ありませんが。」

二人は私の顔をじっと見つめると、諦めてくれたのだろうか、そうですか、と残念そうに言った。

「僕たちの思い違いでしたね。驚かせてしまってすみませんでした」

そう言って、男の子はぺこりと頭を下げた。私はすごく気になってしまって、今度はこちらから質問してみた。

「そのお店って有名なんですか？雑誌に載ってるとか？」

「いいえ、そういうんじゃないんです。でも、前にインターネットのお友だちから聞いたことがあって、探しに来たんです」

「お店の名前は、何ていうんでしたっけ？」

「お店の名前はわからないです。…というか、名前は、きっと無いのだと思います。でも、あの場所と、ラプサンスーチョンが飲めることは確かなんです」

★

謎のカップルと別れて、無事に部屋まで辿り着くと、私はゆっくりと息を吐いた。家に着いてほっとした。どこか遠くまで旅に出ていて、今やっと帰ってきたみたいな感じがする。買ってきた紅茶もすっかり冷めてしまっていた。そっとテーブルの上に缶を置く。

そうだ、忘れないうちにと思って、スマートホンで新月について検索する。すると今月の新月はやはり今夜のようだった。
次にラプサンスーチョンについても調べてみると、確かにそういう種類の紅茶はあった。松の薪で燻製した、スモーキーな香りが特徴の紅茶で、ミルクをたっぷり入れて飲むのがおすすめらしい。私はなんだかすごく飲んでみたくなってしまったので、明日、紅茶専門店に行って探してみようと思った。