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雪が降る前

わりとうちの母は何度か同じ話をくりかえしすることがあるのだけれども、その話にかぎって、結局そのとき一回きりしか聞くことができなかったので、非常に残念だ。わたしはもう一度話してくれるときを密かに待っていて、でも自分からはもういちど話してとは言いだせず(なんだか照れくさかったのだ)何年も経ってしまったある日、思い切って母に「ねぇあの話…」と話してみたら、母はすっかり忘れてしまったようで「なにそれ、さっちゃんの夢じゃない?」なんて、あっさりと返されたからがっかりだった。こんなことなら聞いたすぐ次の日にでも、聞き返しておくのだった。あーあ。
妙に心に残っている話で、冬のすごく寒い日が何日も続いているようなころ、たとえば会社からの帰り道だとか吐く息も白くなるような夜、ひとりで歩きながら思い出したりする。

以下、母から聞いた話。

昨日はさっちゃんの帰りが遅いから、お父さんと二人で夜ご飯食べてね、食べ終わったらこたつに入ってのんびりしていたの。テレビはおもしろいのがやっていなくて、すぐに消しちゃった。お酒を飲んだせいかふたりともやけに眠たくってね、もう寝室まで行くのも面倒で、珍しくこたつに横になってうとうとしてた。

それでぼんやり窓の外を見てみたら、夜だから真っ黒なんだけれど、遠くのほうの地面の辺りだけぼんやり赤くにじんでいてね、夕方でもないのに地平線が赤いのは変だな、いつもと違うなって思ってね。

しかもしばらくすると、すごく小さい音だけど、サイレンみたいな音も聞こえてきてね。なんだか怖くなってお父さんに「遠くの地面が赤っぽいし、変な音も聞こえるけれどなんだろうね」って言ったら、お父さんはもうほとんど寝ちゃっているかんじでね、「音なんてきこえないよ」っていって横になったまま全然相手にしてくれないの。何度か話しかけてももう眠たくて面倒くさかったのか、「わからないよ。火事じゃないのか」なんて、すごくてきとうな返事でね。

仕方ないからひとりでその音に耳をすませていたんだけれど、そしたらこの音はサイレンに似ているけれど違う音だって、何かの動物の遠吠えなんじゃないかって思ったの。狼が遠くにいる仲間を呼んでいるようなすごく寂しい声だった。

それでいよいよ怖くなったから、寝室に行ってさっさと寝てしまおうって思ったの。もうこたつで寝ているお父さんは放っておいてね。

そしたらね、窓のむこう、空から白いものが降ってくるのが見えてね、雪だったのよ。えー、雪だぁ!ってなんだか急にうれしくなってね。珍しいじゃない、雪が降るなんて。

それからピンときてね。雪が降る前だったから変だったのかって。空が赤いのも狼の声も、雪が降る前だったから、そのせいだったのかって。すごく変な話だけれど、妙に納得してね。そしたら外はもう何ともなくてね、いつもどおりの静かな夜に戻ってたから、安心して眠ったの。

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