さかさまの夏

カラスが鳴いて
夕焼け空だよ、帰るよ
子供の頃見た懐かしい景色があってさ

麦わら帽子
空色リボンと束ねた髪
夢の香りと入道雲をうつす窓

夏のよう、僕らいま
夏のよう、魔物たちの歩く
ぐらぐらの夏のようだね



(夏のよう/羊文学)



学校の帰りに、きれいな石を拾った。
夕方、いつも通る砂利道の隅で光っているのを見つけて、すっと手が伸びたのだった。
真っ黒くて艶があって、さわるとつるつるしていて、何よりつめたくて気持ちがいい。
つめたいのは好きだった。
甘いアイスクリームの銀スプーンや、光るプールの水飛沫、布団のなかで確かめる清潔なシーツの感触など、いつもそのつめたさに幸福を感じていた。
手のひらでぎゅっと握り、石を持ち帰った。

おかあさんがいないと、家のなかは暗くて静かだ。
私が部屋の灯りをつけても、なんだか違う感じになってしまう。
それでも、窓を開けたら外からやわらかい風と虫の声が入ってきて、家の中だけど少し外にいるみたいになったから、なんとなくほっとした。
お腹が空いていたので、テーブルの上に置いてあったバナナの皮をむいて食べた。それから冷蔵庫の扉を開けて豆腐を出してきて、おしょうゆを垂らしてスプーンですくって、それも食べた。
わたしは拾ってきた石をひざの上にのせて眺めながら、どこに置こうか考えていた。
お風呂場の窓辺のシャンプーが置いてあるところの隣に置くのがいいかもしれない。そしたらお風呂に入ったときに見えるから、おかあさんが帰ってきたときに驚かせられる。
おかあさんはきっと何なのこれって言って、びっくりして笑うだろうな。
そう思ったらわくわくした。
でもなんだか眠たくて、ソファに横になって目をつむってしまった。

夢のなかで、だれかに呼ばれていた。
家の玄関の磨り硝子越しに、ゆらゆら揺れる人影がみえる。
まるで水の中にいる魚みたい。
でもあれはクラスメイトの朝顔だ。
私の名前を呼んでいる。
何の用だろう。

うっすら目を開けたあとも、朝顔の声がきこえてきた。
どうやら夢じゃなくて、ほんとうに家の前まで来ているらしい。わたしはいま行きまーすと返事をして起きあがり、玄関に向かった。
結構しっかりと長い時間眠ってしまったみたいで、外はとっぷりと日が暮れて暗くなっていた。

おかあさんは日曜日の昼過ぎにちょっと買い物に行ってくるねと言って出かけたきり、戻ってこない。
そろそろ一週間がたつ。
とはいっても事故にあったとかそういうことではなくて、わりと頻繁に電話がかかってくるし、無事なことはわかっているのだけど、なぜだか家に帰ってこないのだ。
電話口でおかあさんはいつも、わたしの食べ物のことばかり心配している。
冷蔵庫や食品棚の中身について、あれこれ教えてくれる。
電話で話せる時間はいつもとても短くて、おかあさんは急いでいて、普段よりずっと早口で、賞味期限が近いからあれを先に食べたほうがいいとかそういうことを一方的にぺらぺら話し、わたしはただそれを聞くのみ。こちらが何か話そうとすると、ぷつんと通話は切れてしまう。
いちど合間にわたしが滑り込みで、いつ帰ってくるのか訊くのに成功したら、もうすぐ帰れるから、ごめんねと言って、日にちまでは教えてくれなかった。
電話越しのおかあさんは、とても遠く感じる。

朝顔には、おかあさんが帰ってこないことを話していた。
誰にも聞かれたくなかったから、月曜日の朝早くに家を出て、学校の下駄箱のところで登校する朝顔のことを待ち伏せて、一番さいしょの休憩時間に裏庭の水飲み場のところで待ち合せることにして、話したのだった。
裏庭の水飲み場は蛇口をきつく締めても、水滴がぽたぽたと落ちる。
学校の奥まったところにあるから、ここを通るひとはほとんどいない。とても静かな場所で、水が落ちるのと同じくらいの小さな声で、わたしはぽつぽつとおかあさんのことを話していた。

電話はかかってくるし、いまは誰にも話さないで待っていようと思うの。

朝顔はじっとわたしの目をみて、真剣に話を聞いてくれた。

玄関に行って扉を開けたら、そこにはリュックを背負った朝顔が立っていた。これから旅行に出かけるみたいな格好だなと、寝起きのぼんやりした頭で思っていると、朝顔はおじゃましますを言って、家のなかにひょいと入ってきた。
そして今夜は泊まらせて、お風呂は入ってきたから大丈夫、なんて言う。
わたしは嬉しかったけれど、家のひとは許してくれたのかが気になった。すると朝顔の家族はみんな早寝だからもうとっくに眠っているし、誰にも気付かれないように窓から出てきたから大丈夫、万が一に備えて自分の部屋に書き置きも残してきたという。
そして今はもうこの部屋のテレビをつけて、ソファに寝そべり明日の天気予報をみながら、わたしに向かってお風呂入ってきたら、なんて言っている。
わたしは朝顔の迷いがない、流れるような動きに感心してしまった。

押入から布団を出してきて敷くのがめんどうだったから、せまいけれど朝顔にはわたしのベッドで一緒に寝てもらうことにした。
朝顔の身体はひんやりしていて気持ちよかったので、首もとに顔を押しつけると、背中にうでを回して、わたしのことをぎゅっと抱きしめてくれた。
それからいいこと思いついたと言って、にいっと笑う。

ねえ、明日は学校に行く前に湖にいこう。
早起きして、朝一番のバスに乗れば間に合うよ。
朝ご飯はバスの中で食べればいい。
リュックにお菓子をいろいろ入れてきたんだ。外国のチョコレートもあるよ。

おかあさんがいなくなって、代わりに朝顔がやってきた家のなかは、気ままで宙ぶらりんな土曜の夜みたい。
わたしは朝顔にくっついて眠ろうとしたけれど、なんだか目が冴えてしまって、まだ眠れそうになかった。
頭の中がぐらぐらする。
すごく笑ったあとのような、たくさん泣いたあとのような。

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