Breakfast In Cafeteria

 木に咲く花が好きで、昔住んでいたアパートから海に続く道にあった、季節になると地面に黄色い花をたくさんこぼす木のことが気になっていた。
 薄い花びらが重なるバラに似た形状の黄色い花が、枝の先の高いところにいくつもいくつも咲いていた。
 そしてなぜだかいつも木に咲いた状態の花よりも、地面にたくさんこぼれている花の方が鮮やかで目を奪われてしまう、そういう木だった。
 ときおり花はきれいに形を保ったまま土の上に落ちていたので、そこからひとつ気まぐれに拾って持ち帰り、部屋に飾ったりもした。
 そこを通るとき僕はいつもひとりで、というかその町に住んでいた当時、僕はどこに行くにもひとりきりだったから、その木を誰かといっしょに見ることはなかった。もし近くに誰かいたならば、きっと確かめていたと思う。
 あれは本当に存在していますか?と、直接口にして尋ねずとも相手の表情を伺うなりして確かめたはずだ。
 どうしてそんなふうにいうのかというと、その景色はあまりに綺麗で現実離れしていたからだ。
 奥では海の音がきこえて、夢の中みたいで。

 それからずいぶん時間が経って、僕は別の土地に引っ越して新しい仕事をはじめて、以前の暮らしのことはすっかり忘れて日々を過ごしていた。もちろんあの木のことも忘れていた。
 そしてある休みの朝、目を覚ますと冷蔵庫の中身は空っぽで、外は晴れていてとても良いお天気で、珍しく外で朝食を取ることにした。
 簡単に身支度をすませて家を出ると、タイミングよく向かいからやってきたバスに乗り込み、一番後ろの席に座る。特に行くあては無かったが、窓の外を見て気になったところで降りればいい。行き先を決めないでバスに乗るのは僕の密かな楽しみだった。
 しばらくすると道の先の方に昔から気に入っているチェーンのレストランの看板があるのを発見し、久しぶりにそこに入ってみようと思い立った。
 そしてバスを降りて、その方面に向かって歩き始めたのだが、なかなか目的のレストランにたどりつかない。おかしいなと思い始めた頃、代わりに食事ができそうなカフェっぽい店を見つけた。ガラス越しに中のテーブル席が空いているのが見えて何となく感じがよさそうだったし、ここに入ってしまうことにした。
 扉を開けるとカランコロンという綺麗なチャイムの音がして、奥からウェイターが出てきてすぐ席に案内してくれた。まだモーニングがやっている時間だったのでそれを注文する。
 しばらくして運ばれてきた食事はコーヒーとトーストの至ってシンプルなセットだったけれど、僕をとても幸せな気持ちにしてくれた。
 白い食器がまぶしくて、コーヒーは熱く良い香りで、トーストの表面はカリカリに焼き色がついていて、ナイフでバターをたっぷりすくって塗る時のザッザッという音が耳に快かった。
 そして僕は再会する。正面の壁に飾られていた写真に気が付いて、目が離せなくなったのだ。
 それはB2サイズくらいのフレームに収められた写真で、写っているのは黄色い花を咲かせた木だった。西日のような淡い光を後ろから受けて、濃い色の土の上にはたくさんの黄色い花が落ちている。
 その木は僕がかつて目にした、あの黄色い花の木にゾクリとするくらいよく似ていた。すごく驚いたし、不意にほとんど忘れていた当時の生活がありありと思い出されて、胸がいっぱいになった。
 海辺の町に暮らしていた2年間のこと、そこでの仕事はいつまでも馴染めずきつかったこと、結局友だちはひとりもできないままその町を離れたこと。
 時間が空いたときは歩いて海に行くのが唯一の楽しみで、道の途中には黄色い花をたくさん咲かせる木があって、その名前のわからない木のことが、なんだかとても好きだったこと。

 あまりにも気になったので、帰るときに思い切ってウェイターに写真のことを尋ねてみた。すると彼はちょっと驚いたような表情を浮かべてから、丁寧に答えてくれた。

「あれは私の父が撮った写真で、まだ結婚する前の若い頃、チェンマイを旅行したときに撮ったものだと聞いています。写っているのはバターカップという種類の木です。泊まったホテルにプールがあって、そのプールの横に植わっていたそうです。プールの上にも落ちたバターカップの花が浮かんでいて、夢の世界のようだったと話していました。」

「あの木はバターカップというんですね。実は以前あれによく似た風景を見たことがあって驚いたんです。もしかして同じ場所かもしれないと思って。でもチェンマイに行ったことはないので、それは間違いでした。」

 そう言うと彼は何も言わずに、ああ、そういうことってありますよね、というように曖昧に微笑んでくれた。僕はまさかと思いつつも、やっぱり勘違いだったのを残念に思い、でも懐かしい木の名前を知ることができたので嬉しかった。バターカップの木。
 そしてお礼を言って気持ちよく店を出て行こうとすると、彼は少し不思議なことを言った。おそらく彼自身も言いながら不思議に思っていたと思う。言葉が勝手に出てきてしまった感じだったから。

「ーーこの世とは神様が見ている夢だから、ところどころに同じ鳥がいる。
 あなたと話していたら思い出しました。確か昔読んだ本に書いてあった言葉です。あなたの場合は鳥ではなく木になりますが、あなたに今起きていることも、そういうことなのかもしれませんね。」

「この世とは神様が見ている夢だから、ところどころに同じ鳥がいる?」

 僕は彼が言った言葉をそのままなぞるように自分でも口にしてみた。言葉はふわふわ宙を漂い、すぐには意味がつかめなかったが、そこには自分にとって何か重要なことが含まれているような響きがあり、聞き流すことはできなかった。

「そうです。生きていると、ときどきそういうことがあるようです。」

 怪訝な僕に向かって彼はそう言った。


 

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