夜のまたたき

真夜中のバスの灯りは独特な色をしていると思う。あまりに静かで、水でも運んでいるみたいにひたひたと進んでゆくから、あの中に人が乗っているだなんて、なんだか嘘みたいな気がしてしまう。


道を行き交う車もほとんどないような夜遅い時間帯だった。町はひっそりと静かで、もうみんな眠っているんだと思いながら私はひとり歩いていた。たしか直前まで雨が降っていたのだと思う。アスファルトが黒く濡れて光っていて、雨上がり特有の澄んだつめたい空気だった。
歩いている途中で、私はあの青みがかった綺麗なバスの灯りを背中に感じてふりかえった。そしていつものようにバスが私の脇を通過していく最中、窓硝子のすぐ向こう側に座っていた女の子と目があった。青い光でほほを染めたその子は、私にむかってかすかにほほえんで会釈してくれた。それはほんの一瞬のことだったけれどとても優雅な仕草で、私の心をしずかに温めてくれた。
そしていつもは遠くへ走り去ってしまうバスなのに、なぜかそのときは私の50メートルほど先の地点、はたしてあんなところにバス停なんてあったかしらと思うような場所で止まって、中から一人ゆっくりと降りてきた。あれはさっきの女の子じゃないかと私は思った。そして私が帰るのと同じ方向の道を歩き出したので、私は自然と女の子の後ろをたどって家まで歩いていくことになった。

歩きながら、ふと今日は影が濃いなとおもった。今は夜なのに自分の足下に伸びる影が黒くはっきりとみえる。昼間のようで不思議なので、この光の源は何だろうと上を見てみると、空の雲の切れ間からとても大きなお月さまが覗いていた。思わず目を見はるほど、光の強い満月だった。先をゆく女の子の背中にもたっぷりと月の光が注がれている。そして両脇には頭の上で揺れている黒い木々の影がある。でも歩く女の子自身の影はなぜだかどこにも見あたらなかった。

こんなふうに夜遅いときはいつも近道をするために、私は家の前にある中学校の校庭を突っ切って帰ることにしている。下校時刻を過ぎると校門は閉まるけれど鍵はかかっていないからいつでも中に入ることが出来た。
前をゆく女の子も私と同じ考えらしく学校の前で立ち止まり校門に手をかけた。続いてがらがらという門を開けるときの重たい音が響いて、女の子が中へと入っていくのがわかった。それからまるでこの後に私が入るのを知っているかのように、一人分の身体が通れるすき間だけ開けておいたままにしてくれた。あの子は私のことを知っているのだろうか。この町にあんな子は住んでいただろうか。

私が門のすきまに身体をすべり込ませて内側に入ったとき、女の子は校庭のちょうど真ん中辺りに立っていた。
雨が降ったあとで校庭にはたくさんの水たまりができていた。同じくらいの大きさ、楕円形の水たまりがいくつもできていて、そのひとつひとつの表面は月のひかりを浴びてきらきらと明るく光っていた。女の子はその光る水たまりに囲まれるようにして立っている。
そのとき私は女の子が歩いていないことに気づいた。なぜだか校庭の真ん中で立ち止まってしまっている。私は水たまりを踏まないように足下に気をつけながらゆっくりと前に進むうちに、不安な気持ちになっていた。このままでは女の子に追いついてしまう。女の子に追いついたら私は何かを思い出してしまう気がした。

夏の日の林間学校。
皆でお揃いの白っぽい上下を着て過ごした。
湖のほとりできれいな石を拾った。
夜にへやを抜け出して星を見にいった。
膝に草が当たってくすぐったい道を通った。草は夜露ですこし濡れていた。
帰りに流れ星をみたとき、わたしは今日のことをいつかきっと思い出すとおもった。


『夜は時が止まる。永遠は今ここにある』


── ポチャッという水風船を落としたかのような水の音がしたかと思うと、女の子はいなくなっていた。真夜中の校庭にいたのは私ひとりきりだった。
きらきら光る水たまりだけがそこら中にあった。

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