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感謝の気持ち と 自己肯定感

「10点満点で自己肯定感を表すとしたら、何点?」と聞かれたら「2点」と答える。そんな私が「6点くらいはあるかな」と答えられるようになりました。

上がったのはわずかに4点。世の中には即答で「10点」とか「2億点」(いや10点満点なのに!)とか答える方もいらっしゃいますし、それに比べたらたったの6点。

それでも、小学生の頃から自己肯定感の低さに悩み、大人になってからさまざまなセミナーに参加し、本を読んでは実践し「あ、自己肯定感上がったかもしれない」と思っては、すぐに戻る。

そんなことを繰り返してきた私にとって素直に「6点」と答えられ、かつ、その状態が1ヶ月以上も続いているのは、奇跡のようなものなのです。

自己肯定感が上がるきっかけ

私の自己肯定感がどういうことがきっかけで上がったのか。それは「親に感謝すること」です。

「親に感謝する」という言葉を見た時点で、このnoteを閉じる人もいるでしょう。かつての私もそうでした。この言葉を聞くだけで虫唾が走る。そう思っていました。

自己肯定感の低い方は、親とうまく行っていない人が多いと感じています。

私も父とは小学校高学年くらいからろくに話していません。自分が親になったら親のありがたみが分かるかと期待していたら、逆に「なんであんな親だったんだろう」とより嫌悪感が増しました。つい最近まで会いたくないし、思い出したくもないと思っていました。

父への不満

父に対して感じていた不満は山ほどありますが、やっぱり大きかったのは私を褒めたり、認めたりすることがなかったこと。「父が褒めてくれなかったから、私は自己肯定感が低いんだ。だから、私はこんなにも苦しんでいる。」と父を恨んでいました。

やりたいことをやらせてもらえない。うまくいったことは周りのおかげ。悪いことが起きたのは、すべて自分が悪いと思え。どれだけ勉強をして、いい成績をとっても、勉強は自分のためにするものだ。弟の世話をしても家事をしても、そんなことは当たり前。アルバイト代で買い物をしたら、稼いだお金を自分のために使うなんてありえない。父はそういう人でした。

私には9歳下に双子の弟がいて、二人とも重度知的障害を伴う自閉スペクトラム症。知的レベルは3歳くらいなので、自分たちで稼いで生活することなんてできません。

そんな弟たちが14歳、私が23歳の時に父が仕事をやめたんです。父はまだ50代でした。びっくりして話を聞くために父に会いに行きました。

そしたら「自分の母親の介護に専念したい。仕事と介護の両立をしたら自分が倒れてしまう。自分が倒れたら、母親を介護する人がいなくなる。だから仕事を辞める。弟たちのことは、頼んだ。」そう言われたんです。(ちなみに父は4人兄弟で、みんな近くに住んでます。)

当時、私は社会人3年目。仕事も楽しかったし、これから結婚もしたいし、子どもも欲しい。そんな時に弟2人を金銭面で面倒を見ろと。それが当然のことである。と父に言い渡され。無責任さに、憤りを感じました

それでも、「親だから」「仕事をして家にお金は入れてくれていたから」「感謝はしないといけない」と思っていました。親を恨みたくない、仲のいい家族になりたい。そういう憧れをずっと持っていました。でも、どうしても23歳の時のエピソードが頭をよぎるんです。

父に感謝したい。でも私にとってとても大切な弟を捨てた父を許せるわけない。そんな葛藤をずっと抱えていました。

自己肯定感の低さで苦しんだ日々

学生時代は友人ができず人間関係に悩み、社会人になってからも仕事は評価されるものの人間関係がうまくいかない。子どもが産まれてからは、子どもにうまく接することができない。

そんな毎日をなんとかしたいと自己啓発本を読んだり、セミナーに参加するうちに「親に認められないと自己肯定感が低くなり、いろんなことがうまくいかなくなる」ということを知りました。

そして「今、私が辛いのは父が私を認めてくれなかったからだ。あんなやつに、会いたくもない。思い出したくもない。」そう思うようになっていきました。

自己肯定感の低さ、自分に自信がないことで、友人関係、人間関係、子育てに苦労していましたが、フリーランスになってから「これは、なんとかしないと、本当にまずい。」と危機感を募らせていました。

仕事の依頼をいただいても「私にできるだろうか」と不安になり、引き受けることができない。「ぜひ、お願いしたい」と言われているのに「私、そんなに大したことができません。ご迷惑をお掛けするかもしれません。」とつい言ってしまう。

「あなたの知識やスキルは絶対に人の役に立つ。どんどん発信していけばいいのに」と言われても「いや、私のできることなんて誰でもできるから」とアウトプットができない。

「もう知識はついたから、あとは実践あるのみ。どんどん行動していこう。」と言われても「まだまだ知識が足りない。もっとちゃんと勉強してからじゃないと。」と何も行動できない。

肩書きも資格もなくても、どんどん行動して実績を積み上げている人の体験談を聞いても、自分のことになると「資格がないと、肩書きがないと私なんて信頼してもらえない」と何もできない。

このままじゃ、本当にダメだ。なんとか変わらないと、弟たちを養っていくことができないし、自分のやりたいことや、理想とする生活なんて送れるわけがない。と、ものすごく悩んでいました。

価値観を書き換えるコーチング

そんな中、昨年末に知り合いの方がコーチングを始められたことを知りました。「行動できない自分のネガティブな価値観を消し去り、行動できるようになる価値観に書き換える」ことができるコーチング。

行動できないことに心底悩んでいた私には、この言葉が突き刺さりました。

それまでにもフリーランスとしてやっていくために、たくさんの自己投資をしてきたので、自己投資をすることにためらいはありましたが、思い切ってそのコーチングに申し込みました。

本当に変わるんだろうか、、、と期待と不安を持って、コーチングを受けました。2回目のセッションで、ネガティブな価値観を手放し、新しい価値観書き換えるために3時間のワークをするのですが、それが「親に感謝すること」だったんです。

それを知った時は「いや、もう無理。そんなことできるわけない」「こんなのやっても、親に感謝なんてできるわけない」「親に感謝したところで、価値観が変わるなんてことない」頭の中にセッションを否定する言葉が駆け巡りました。

でも、決して安くないお金を捻出していましたし、なによりもコーチを信頼していたので、ワークにチャレンジしました。

3時間のワークを進める中でコーチから「親へ感謝できるようになりましたか」と聞かれても「まだ、無理です。腹が立って仕方ないです」と答える。その度にコーチから「じゃあ、これをやってみましょう」と提案され、結果的には4時間超えのセッションとなりました。

ワークが終わった直後は「感謝するのは無理。でも、親を恨んでも仕方ないや。」とやっと思えるような状態でした。

その瞬間は「やっぱり親に感謝するなんて、私には無理だ。4時間かけても私は変われないのかもしれない。」とがっかりした気持ち。

でも、コーチからは「今は、そう思えだけで大丈夫ですよ。毎日どんな変化があるか、様子をみてみましょう」とアドバイスをいただいたので、素直にその言葉に従うことにしました。

そうしたら不思議なことに、セッションが終わってから時間が経つにつれ、父に対する恨みが消えていったんです。別に「許さなきゃ」とか思ってないのに。

近しい人に「父を許すことができた。感謝する気持ちすらあるよ。」と本当に自然に自分の口から言葉が出てきたんです。言った後に「え!私の口からそんな言葉がでるなんて」と本当に驚きました。

親に感謝できるようになり、気づいたこと

「親は親なりに頑張っていたんだ」「100点満点の親はいない」と思えるようになったんです。

そして、いつまでも「子ども」の立場で親を見ていた自分の未熟さを思い知りました。うまくいかないことを親の責任にしていたのかもしれない。そうも思いました。

そして、だんだんと、日常生活のふとした瞬間に、自分を否定せずに受け入れることができるようになっていることに気づきました。
「よく考えたら、私すごく頑張ってる」「もちろんできてないこともあるけど、できてることもたくさんあるじゃん」と自然に思うようになりました。

これまでは「自分で自分を認めなきゃ」とすごく頑張って「私は頑張ってる」と思い込もうとしていました。そうじゃなくて、本当に本当に自然に「私は私なりに頑張ってるよね」という気持ちが湧き上がってくるんです。

親に対して「あんなことはしてほしくなかった。本当はこうして欲しかった。」と100点満点の親を求めることで、無意識に自分も「100点満点でいなければいけない」と思っていたのかもしれません。

「あんな親になりたくない。あんな親になったら、子ども達がも自分と同じように苦労してしまう。だから、もっと頑張らなくてはいけない。こんな自分じゃダメだ。」と、100点であらねばならないと自分で自分に呪いをかけていたように思います。

親と子の関係は思った以上に根深い。特に負の感情を持っている親子ほど、絡まり、さびついて、がんじがらめになっているのかもしれません。

「親は親の価値観なりに頑張っていた。だから、それについて私がどうこういう筋合いはないよな。」と思えるようになった時に「親と自分は違う人間だ」という感覚が生まれたように思います。そして「私は私だから、親にどうこう言われる筋合いもないし、親に認められなくたって別にいいんだ。」と思えるようになりました。

物ごごろついた頃から「父に認められたい。褒めて欲しい。」と思い続けた私が、まさかその思いを手放せる日が来るなんて、思いもしませんでした。

自己肯定感は、「自分を肯定すること」誰かに認められるから、生まれるものじゃない。誰かに否定されたからって、なくなるものじゃない。自分で「私はこれでいい」って思えば、それでいい。

言葉にすると、すごく簡単なこと。でも、ずっとそれができなかった。やっとそう思えるようになったことが、本当に嬉しい。

でも、心の中で「また元に戻ってしまうかもしれない」そんな不安もあります。その時は、このnoteを読んで、今この瞬間の気持ちを思い出したい。そう思っています。

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