ロヒンギャ危機

ミャンマーの国民は、現在、一九八二年の「国籍法の改正」により、一三五に整理された土着民族であること、をその要件にしており、国籍は血統主義(両親のどちらかがミャンマー国籍をもっている)にしたがって付与されます。つまり、〈国民を土着民族に限定し、その他の人々と区別する〉(74頁)という意図がありました。
 

 この一三五の民族に含まれていない以上、ロヒンギャは植民地時代に移住した帰化国民(民族分類としては「パキスタン」や「ベンガリー」)として申請するしかなくなる。そうなると、植民地化以前からラカインに住んでいたムスリムは、土着民族としての資格を法的には満たしているにもかかわらず、土着民族として認められないことになる。 

78頁

よく知られているように、ミャンマーは、ロヒンギャをバングラディシュからの不法移民だとしていますし、バングラディシュも自国民だとは認めていないので、無国籍、となります。

本来ミャンマーは多民族国家で少数宗教者もいるはずなのに、国民とはビルマ人で、国民すべてが仏教徒であるかのように語られる。(略)
公式制度上、仏教はミャンマーの国教ではない。だが実際には、国家の仏教への肩入れを望む人々も多い。(略)
いずれムスリムが多数派になるという言説を信じる仏教徒たちにとって、ムスリムは宗教的少数者ではない。むしろ仏教徒が少数派で、ムスリムは拡大を続ける巨大な渦のような存在だ。ミャンマーや仏教徒がその渦に飲み込まれるという危機感が彼らには常にある。

131-132頁

不法移民とされ、そして反イスラーム的な体制、それに対抗するかのように「海外のロヒンギャ・コミュニティから来た小規模な過激派集団」であるARSA(アラカン・ロヒンギャ救世軍)が二〇一六年、一七年に警察と国軍の施設を攻撃し、「土着民族としての国籍や国際機関の人権侵害に関する調査を求め」ます。それがロヒンギャ難民を生みだすことになります。以前から火の気はありましたが、民主化によるスーチー政権のもと、での出来事です。

民主化されたといっても、ミャンマーでは、国軍に政治的にも特権をあたえられたままです。そして、

 つかみどころのない民意。その民意を予想して行動する政治家。仏教徒の間で漠然と共有された反ムスリム感情を前に、それを刺激しかねない行動を政治家がとれるのか。スーチーが直面しているのはこの困難である。多数者の合意に優位を認める民主制では、少数者が抑圧される危険性が常にある。 

199頁

二〇一七年のARSAの攻撃に対する、国軍の掃討作戦に関する公聴会が、二〇一九年一二月一〇日に国際司法裁判所で開かれました。ジェノサイド条約に違反した、という訴えがあったからです。そこでスーチーは、ジェノサイド条約違反を否定します。

国際司法の場では、仮に一〇〇〇人の民間人が軍隊に殺害されたとしても、犠牲者が特定の集団に属していない場合や、その集団を狙う特別な意図がなければ、ジェノサイド条約違反には、これまでの判例を見る限りならない。
 スーチーによるジェノサイドの否定は、この法的な文脈で理解する必要がある。(略)
 筆者にとって意外だったのは、この冒頭陳述で、暗に国軍による残虐行為を認めたことである。「国軍兵士が国際人道法をいくらか無視して行き過ぎた武力行使に及んだことを否定するものではない。また、彼らがARSAの戦闘員と民間人を十分に区別しなかったことも否定はしない。戦闘のあとで人がいなくなった村々で、(外から来た)民間人が村に残された財産を略奪したり、破壊したりする行為を阻止できなかったこともあったかもしれない」。遠回しな表現ではあるが、スーチーが国軍の軍事作戦についてここまで踏み込んだ発言をしたことはそれまでなかった。 

179-180頁

ミャンマーでは、二〇一五年に続き、二〇二〇年の総選挙でも、スーチー率いるNLD(国民民主連盟)の大きな勝利となり、二〇二一年二月一日に軍事クーデターが起こりました。

中西嘉宏『ロヒンギャ危機 「民族浄化」の真相』 中公新書 2021

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