女装と日本人

著者は「性同一性障害」ではなく、〈単なる男性から女性への性別越境者(トランスジェンダー)〉という自己規定を持っています。「性同一性障害」とは、自身の生まれ持った身体的性別に対して、意識として同一性を受け入れることが困難な状態にある、性別違和感を持つ、ということとされています。

では、著者のトランスジェンダーという自己規定とは、どのようなものなのでしょうか。

同級生たちが『平凡パンチ』のグラビアを見ながら、女性について語り合っていた時、友人たちの女性に対するイメージとわたしのそれが違うことに気がついたのです。友人たちが性欲の対象として女性を見ているのに対し、私にはそうした気持ちが希薄でした。(略)
私の前を焦茶のタイトスカートにブーツ姿のスタイリッシュな女性が歩いていました。その後ろ姿を見た時「すてきだなぁ、あんなふうになりたいな」という言葉が心に浮かんだのです。

244-245頁

「女性同化願望がある」と自己規定していますので、性同一性障害ではないのです。だから本書のテーマは「女装」になります。そして彼女(と呼びます)は一九九七年当時は豊胸手術も女性ホルモンの投与もしていなかった、と述べています。

LGBTQが問題視されるのは、異性愛がメインである、という姿勢にあります。しかし、生殖に結実しない性行動は、正常ではないとするならば、男女間においても欲望の充足のための性行動は、正常ではないことになります。

美しい稚児は賛美の対象であり、憧れの対象でした。すべてとは言いませんが、かなりの割合で、僧俗の男性の理想は、美しい女性ではなく、美しい稚児が体現する双性美だったのです。そう考えないと、なぜ美しい女性をわざわざ少年の姿にして、清盛のような最高権力者がそれを愛でるのかということがわからなくなります。つまり、女性の側から、双性的な理想像に近づこうとしたのが白拍子だったのです。だからこそ、貴顕の人たちが、女性器を持つ美しい稚児である白拍子に夢中になったのです。

72頁

「男・女」という二元性から逸脱している双性的なものへのあこがれ、それが男や女が女装する稚児・白拍子に夢中にさせたのでしょう。しかし、これはキリスト教社会では許されるものではありません。そして日本では、文明開化により欧米の視線を意識させられることになります。

以下127-128頁からの要約です。

明治政府は一八七一年(明治四)に「壬申戸籍」を発布します。夫婦である早蔵と妻お乙《おと》も戸籍をつくろうとしますが、お乙が乙吉という男であることが露見し、早蔵の家を管轄する戸長の説諭により、結婚は無効にされ、お乙は丸髷を切りザンギリ頭となりました。

〈お乙は自分が女子ではないことを告白し、早蔵はお乙が男子であることを承知したうえで婚礼をあげ、三年間、平穏に暮らしていたのです〉。しかし、〈厳格な近代戸籍制度の下では、男児として生まれながら女子として生きる女装男子や、男と女装男子の夫婦のような「あいまいな性」が存在できる余地はなくなってしまったのです〉。

まずは戸籍上の排除からはじまり、現在の努力目標のような「LGBT理解増進法案」に至るまで、シスジェンダー(生まれついての性と性自認が一致)と同等には扱われていません。

しかし、性について、彼女が二年間ほど付き合ったボーイ・フレンドが「その内に慣れちゃった」、と言ったことが紹介されいます。

私と出会う以前は「純女」との性体験しかなかったオリエンテーション的にもファンタジー的にもヘテロセクシュアルな男性です。そうした男性の見解だけに、MtF(男⇒女)のトランスジェンダーが演出する制限層の効力がよくわかると思います。「見たて」や性幻想を介在させることにによって、男性の性別認識や性行動のあり様は、かなり柔軟で可変的になる好例ではないでしょうか。

318頁

「性」なんてジェンダーイメージで左右されてしまうのだ、との主張はなるほど、と思いました。

三橋順子「女装と日本人」 講談社現代新書 2008

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