常識と算数の初歩

斎藤幸平著『人新世の「資本論」』(集英社新書 2020)の見解には賛同しますし、その主張は受け入れるべきだ、と考えています。しかし、本書は2021年度の新書大賞の第1位となった話題作でもあったわけですから、当然、反論もあります。その反論本もいくらかは読んでいますが(受け入れがたい主張にも触れる必要を感じていますから)、今回、以前にkindle版を購入していた、柿埜真吾著『自由と成長の経済学』を読みました。

基本スタンスは気候変動を受け入れた上で、資本主義のもとでの経済成長を肯定するもので、論理が首尾一貫しており、質の高いものになっています。しかし、「エッ」とわが目を疑うような記述がありましたので、それについて触れます。

それは水野和夫が『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書 2014)で独自に作成した「高所得国の世界人口にしめる割合」のグラフについて、述べられたところです。

 ところが、グラフに小さく書かれた説明を見ると、なんと「高所得国は世界の一人当たり平均実質GDPの2倍以上ある国」と定義されている(水野 2014 167頁)。クラスの全員が平均点の倍以上の点数を取ることがありえないように、すべての国が平均の2倍以上のGDPを稼ぐことは、経済体制に関係なく、論理的にありえない。水野氏の主張の価値を判定するには、カール・シュミットやルターについて深遠な学識を持っていたり、万巻の書を読んだりする必要はない。常識と算数の初歩がわかれば十分である。 

64頁

水野の定義である「高所得国は世界の一人当たり平均実質GDPの2倍ある国」は論理的にありえます。世界平均の2倍ある国が「高所得国である」と言っているだけなのですから。それを柿埜は、「すべての国が平均の2倍以上」と読み替えています。水野が言っているのは「すべての国の平均の2倍以上」ということであり、「すべての国の」というところを「すべての国が」にして強引に意味(意図)不明な論理を導きだしています。

そしてご丁寧に、〈世界銀行によれば、2019年の世界平均の一人当たりの実質GDP(2011年ドル)は、日本の22・5%に過ぎない〉(127頁)というデータまであげています(2011年ドルというのは意味不明で、おそらく、2019年ドルだと思います)。これは日本が、水野の定義する高所得国であるという事例です。世界平均の一人当たりの実質GDPの4・5倍もあるのですから。

アマゾンの読者レビューを見ましたが、このような指摘はなされていないようです。

柿埜真吾『自由と成長の経済学 「人新世」と「脱成長コミュニズム」の罠』 PHP新書 2021

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