保険・年金制度について

『11人の考える日本人』片山杜秀(文春新書 2023)を読むと、河上肇の章で、日本での保険制度の導入について触れられていました。以下にその要約を記します。

パウル・マイエットというドイツから来たお雇い外国人が明治十一年(一八七八)に『日本家屋保険論』のもととなる演説を行います。

当時のドイツ帝国は、首相の地位にビスマルクがつき、フランスやイギリスに追いつき、先進資本主義国家になろうとしていましたが、〈イギリスやフランスはすでに民間の保険があり、会社の厚生制度も整備されていましたが、後進のドイツでは、労働災害に対する補償制度などが備わらないまま〉でした。そこで〈社会主義に頼らなくても国家が国民の面倒をみましょうと飴を配る。こうしてドイツ帝国は国家が保険を運用し、世界で初めて公共で福祉をおこなうのです〉。

この考え方を日本に定着させたのが、数学者の藤沢利喜太郎《りきたろう》です。

〈藤沢は明治十年代に国費留学でドイツとイギリスに渡ります。ドイツで目の当たりにしたのは、社会主義の台頭でした。藤沢はこれを日本近代化にとっても脅威だと感じる〉。

そして、〈とにかく社会主義の拡大から日本を救おうと、藤沢はドイツ流の福祉国家構想を政府に進言します。ところが国にはそんな予算がない。〉と却下されてしまいます。〈では民間の保険を整えよう、と藤沢は発想を切り
替えます〉。

〈日本でもそれなりにいい暮らしをしていたのに、近代化に急かされた労働が原因で家計の柱を失い、没落を余儀なくされた家庭の子供たちが国家を危うくしかねない。そういう子どもを一人でもなくすことが国家百年の計だと藤沢は考えて、保険制度を本格的に整備しはじめるのです。〉

なるほど、保険制度はこのようにして日本に定着していったのですね。そして今でも、私も含めて、多くの人が民間の保険に加入しています。

しかし、貧富の格差の拡大や困窮問題や年金問題などをかかえている現状をかんがみれば、民間の保険制度を利用できるのは、ある意味「特権」なのかもしれません。

民間の保険では、掛け金を保険会社に支払っています。その負担が困難な方もおられ、将来への不安から逃れられないことは想像に難くありません。

もはや、個人の自己責任で、すまされる問題ではなくなっています。月々か年払いかしている「掛け金」を税金として納めて、すべての人の将来への不安をなくすための年金に一元化する、そうしなければ、社会が立ち行かなくなるのでは、と不安を感じています。

より多くの保障が欲しければ、民間の保険に加入すればいいのです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?