死者と霊性

死者を宗教の対象だけではなく、それを象徴するものとして、「立憲主義」と「礼」を取り上げられているのを、非常に興味深く感じました。

それは、どういうことなのか、立憲について中島岳志は述べています。

たとえば、表現自由というものは侵してはならないと憲法で定められている。いま生きている人間が、いやそういうものは制限していいのだと決議しても、憲法上はそれがだめだとなるのが「立憲」という考え方。「民主」と立憲」には、どうしてもぶつかってしまうポイントがある。何がぶつかっているのかというと、僕は主語がぶつかっていると思うのですね。「立憲」の主語が死者であり、「民主」の主語は生きている人間、生者になる。

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立憲は既に死者(過去)により成立している憲法が、今を生きる者の民意(民主)を制限する、ということですね。それが、いまある者の利害判断である民主の暴走を防ぐように作用するものとして、つまり、憲法は様々な経験を重ねた過去から、今在る者、そして未来へ向けた遺言でもある、といえます。

「礼」に関しては中島隆博が述べています。

 「礼」というのも一つの規範の問題なのです。(略)何のために「礼」を行うのかというと、それはこの世界が非常に分断されて、対立の芽があちこちにある。それを全部きれいにするまではいかないけれども、なんとか暮らせる社会にしていく。そういった要素が「礼」にはある、(略)死者をどうやって正しい先祖にするかという、これが問われるのです。そのためにはパフォーマンスをしなければいけない。

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つまり、立憲も礼も死者との向き合い方ということになります。

「礼」で説明します。

大事な人が亡くなると、まず喪失感にとらわれることになるでしょう、その人の存在が無くなってしまうのですから。それは、残されたのは記憶だけでなのでしょうか、思い出として胸の中に留まるだけなのでしょうか。そうではなく、その人は私にとって、死者として存在し続け、新たな関係として向き合いを持つことで、今ある者を制限しているともいえるような、倫理の源泉となります。この関係のプロセスが「礼」であり、それは霊性に導かれているのだ、といえます。

末木文美士 中島隆博 若松英輔 安藤礼二 中島岳志
『死者と霊性 近代を問い直す』岩波新書 2021

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