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「新テレビ学講義」を読んで 〜序章〜

『新テレビ学講義  松井英光著』の引用と感想。
第一章の前に序章「なぜ海外情報バラエティーばかりに?」。

基本的には昨日概要で書いたこの本の目的を中心に記載されているのだが、加えて気になった点を抜粋したい。

なぜ今のテレビは面白くないと言われるのか、どうすれば面白くなるのか、という命題である。

以下、原文抜粋
『いくらデジタル技術による多チャンネル化で番組数が増えたとしても、「最大公約数」的な類似企画や一部の人気出演者への集中が横行すれば、それは決して「多様性」が確保された状態ではないことになります』
『その上で、テレビメディアで言論・表現の自由に基づいた番組の「多様性」を実現するためには、制作現場の「自律性」を確保することが不可欠となるでしょう。』
(中略)
『「作り手」の「自律性」とは、制作現場の「作り手」が非制作現場の「送り手」から独立して、「エディターシップ」の主体を確保した状態で「自己決定」に基づいて創作活動を行い、メディアの公共的役割を果たしていくこと』
(中略)
『広い範囲の創作活動の中で「エディターシップ」の主体を「作り手」が「送り手」から取り戻すことが、「テレビがもっともっと面白くなる」ためのキモとなる部分と言えるのではないでしょうか。』

私なりに解釈すると、現状、テレビが面白くない問題点として、「企画や出演者が似通っていること」が重要な問題である。
その理由は視聴率が唯一の指標として存在し、それを基に番組を作っているから。
しかしこれは商業としてのモノづくりにおいて、「求められるものを作る」「売れるものを作る」という至極当たり前のことである。
しかしここで問題なのが、非制作現場、いわゆる編成などと言われる「送り手」の部署が創作活動の主体の方向性を決めているという点であると指摘している。

なぜここが気になったかと言うと、実情がまさにその通りであるからだ。
論文の中でここまでリアルな悩みを書き出しているものはないだろう。著者(元ディレクター)も恐らく嫌な思いをしたのだろう。

問題点をわかりやすく言うと、まず視聴率を取るための作戦を決める編成や上層部(ここでは送り手と呼ばれる)があり、それに付随して制作部署がある、という構図がテレビ局にある。
番組制作現場で働いている私どもにとっては「送り手(編成や上層部)」に全てを決められるのは嫌だが、無視することはできず、結果如何によっては番組を終わらされるという権利を持たれている。
経験上もちろん、細かい内容を話し合うことは可能なのだが、若くセンスや創作意欲のある者ほど、立場が弱く、言うことを聞かざるを得ない。言うことを聞けば必ず成功するかと言われればそうとも限らない。
この構図が自由な、新しい番組制作を阻害しているのではないかという考察だ。
そんな意見を無視して面白いと思う番組を作ればいいではないかと思われるかもしれないが、結局ある程度話を聞いておいてあげる方が、人間同士の仕事なので得であることが多いのだ。そもそも会社のお金を、ひいてはスポンサーのお金であり、国民のお金を使って、創作活動をしながら給料を貰っている立場なのだ。

この構図の問題点をさらに分かりやすく言うと、番組の企画やキャスティングの際に、視聴率が過去に取れたもしくは他局で取っていた企画や出演者を、何度も使うということで、視聴率を取る、という作戦を長きに渡って繰り返してきている。
これを視聴率を取るという目的を果たすために送り手(上層部や編成という部署)は視聴率を取らなければ番組を終わらせるという圧力を制作部署に強いるのである。その結果として過去の経験を参考に番組作りをせざるを得ない状況になる。
その作戦を使い始めた頃は良かったが、その結果全局で似通った番組、似通った出演者ばかりになり、結果としてテレビ自体から目新しい映像が消えてしまい、全体が凋落していっている。
これに関しては、おそらく問題として各テレビ局も認識しているはずだが、やはり成功例の全てを手放して新規の創作だけをしていくには業績が安定していないことが、このループを辞められない理由になっていると思う。
また、これを抜けられない理由として私が思うのは、民放5局しかないため、明らかに1位〜5位という順位がついてしまうことだと思う。
誰だって自分の局が5位にはなりたくない。
5位になってしまっては自分たちの出世や役職、ボーナスに影響が出る。
自分の仕事人としての成績が悪い状態で仕事を終えることになってしまう。
そうなってしまってはエリートコースで歩んできた自分の人生に泥を塗ることになる・・・

などいろいろな理由があって、「数字はどうでもいいから、全て番組制作部署に自由な創作を任せる」ということができないのであろう。

しかし、私のような野良社員からすれば、視聴率5位でも新しいことしてる方が大事じゃない?と普通に思うのである。

だが、そんな奴に枠を任せるほど、テレビ番組の制作権というのは甘くないのである。

しかも組織としては大きな集団で、こういった構図が作られた経緯も一朝一夕ではない。
私が番組制作をしている間に変化を起こせるのか。
そのために我々は何ができるのか。

第一章感想に続く。

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