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「無い物が無い世界」から考える

私…と言うか、人間は長い間、物が無い時代を生きて来たように思います。
この場合の物とは、商品とか、製品とか、物質的な物です。
原始人から現代人の流れ…と言って良いのかな?

無いから作る。
持って無いから欲しい。

道具なんて、人間の真髄のような気がしますね。
物作りは道具作りへ発展した…と言って良いような気がします。

だからこうした円環で、無いと有るの均衡の為に、物を配り、時には奪って世界的に広がったのがグルーバルスタンダード…じゃ無いかな?って。

グローバル・スタンダードは、特定の国や地域、企業などだけで適用される基準ではなく、世界中の誰もが共通に利用することができる基準や規格、ルールを指します。


グローバルスタンダードとは、日本の地方都市のユニクロでも、アメリカの大都市のユニクロでも、同じTシャツが買える…正にこれじゃないですか?

因みにタロットカードで言うと、このような世界への均衡の広がりは皇帝のカードが担っています。

話を戻しますが、私たち人間の活力は、この「無い」が原動力だったような気がします。
情動なら渇望でしょうか。
つまり所有欲です。

今の人間の創造の元は、無いを有るに変えて均衡させて行く事で、それは「所有欲だ!」…なんて。

今も昔も、物が無い時は、物や土地、財産、人(この場合の人は財産や人材としての人)を巡って争いを繰り返していました。
競争社会です。

同時にそんな競争社会の側面として、芸術や精神世界が鮮やかに広がって行きました。

そんな「無い」から始まった時代は、今となっては飽和に近い状態にまで来ました。

それがいつに間にか、矛盾した円環の中に閉じ込められたような気がします。

欲しいから貰う。
足りないから作る。

必要で無ないけれど、物を買う。
もっと必要だとか、もっと欲しいとか…そんなゼロから量的な位置に来ました。

言葉にすると、どちらも「無い」には違い無いのですが、足りないとは、既に有るの量の度合い過ぎません。
つまり「量は有」の言い換えです。

つまり、円環の意味が変わり、矛盾した円環になったのです。
バージョンアップもこの類になるとは思いますが、この上記の場合のニュアンスは、「足りているのに作る」とか、「足りているのに欲する」の矛盾の円環です。

だからこれからの時代は、有るから無いへの均衡の為に、どんどんと有るが失われていく可能性も秘めている訳です。

でもその前に…。

人の創造はそんな均衡よりも、違う次元へと発展する可能性があるのでは?なんて、私は人の可能性を信じたいのです。

つまり有るの状態は、「無いが無い」の状態で、タイトルにある「無い物が無い世界」です。

ここで人は何を渇望し、欲するのでしょうか。
もしこの世界で飢えるとしたら、人は何に飢えるのでしょうか。

これがこれからの創造の原点になるような…所有欲とは全く違った価値感の欲が原動力になる…そんな気がしています。

もし人がこれからも進化へと進む道が有るならば、それはどんな渇望や欲を伴って過渡期へと入って行くのでしょうね?

冷めたコーヒーが再び温まる…。
そんな熱が新しい力になって行くのだったら面白そうです。

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