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3分講談「天狗にさらわれた龍」

早いもので、今年ももう3分の1が過ぎましたが、今年の干支は辰年ですね。このたつ、りゅうは、中国で生まれた想像上の動物ですが、水や雨を司る神として、日本でも篤く信仰されてまいりました。蛇のような長く太い身体には、ガラスのような鱗があり、頭には角、口元には立派な髭、するどい爪のついた手足。その姿は、日本全国の神社仏閣の彫り物や天井画として、今でも数多く残されております。さてそんな龍も、時にはピンチに陥ることをあったようで、こんなお話が残されております(①)

平安時代の中頃、讃岐の国、現在の香川県に満濃池という大きな池があり、龍が棲んでおりました。よく晴れたある日のこと、龍は小さな蛇の姿になって、池のほとりで日向ぼっこをしていました。

「ああいいお天気だ、気持ちがいいなぁ」

草の上にとぐろを巻いて、つい、うとうととしておりますと、突然、上のほうからバサバサバサ!という鋭い羽音。はっと目を開けると、一匹の大きなトンビが、物凄い早さで飛び降りてまいります。あっという間もあらばこそ、鋭い爪で蛇を掴んだかと思うと、天空高く舞い上がった。(①)蛇は、「しまった…!」と思いましたが、もう後の祭りです。ふいのことですから、龍の姿に戻ることも出来ません。行く先も分からず連れてこられましたのは、険しい山の中の洞窟でございます。トンビは蛇を洞窟の中に放り込むと、大きな岩で洞窟の入り口をふさいで、閉じ込めてしまいました。(①)

実はこのトンビ、ただのトンビではありませんで、天狗が姿を変えたものだったんですね。今でこそ、天狗といえば、「赤い顔に長い鼻」という姿が想像されがちですが、天狗は元々、山に棲む猛禽類からイメージされた妖怪で、羽を持ち、鳥のような顔をしていました。蛇が連れてこられたのは、この天狗の棲みかである、近江国の比良山でございました。讃岐国の龍は、蛇の姿になっていたばっかりに、はるばる近江国まで拐われてしまったというわけです。

さてこちらは天狗。蛇を洞窟に放り込んでおいて、今度は尊いお坊さんを拐ってこようと、またトンビの姿になって、比良山から程近い、比叡山延暦寺の上空を飛び回っておりました。すると、お寺の厠からちょうど、手を洗おうと水差しを持ったお坊さんが出てきました。天狗は、「しめしめ」とばかりにお坊さんの衣の背中に鋭い爪を引っ掛け、そのまま空へと飛び上がりました。お坊さんは、水差しを手に持ったまま拐われ、蛇と同じ比良山の洞窟に放り込まれてしまいました。

そのとき、蛇は、お坊さんを見て、目を輝かせて言いました。

「もしやあなたの持っているのは、水差しではありませんか。実は私は、讃岐の国の池の主である龍なのですが、水がなくては本来の姿に戻ることも、力を発揮することも出来ません。その水を少し分けて下されば、こんな洞窟なぞすぐに脱出して、あなたを元のお寺に帰して差し上げましょう」

蛇はお坊さんから水をもらうと、みるみるうちに龍の姿に戻り、洞窟を軽々と壊し、お坊さんを背中に乗せて、雨を降らせながら比叡山の上空へ。無事にお坊さんをお寺に送り届けると、その足で、天狗を探しに向かいました。

「おのれ憎っくき天狗のやつ、目にものみせてくれるわ!」

怒りに目を真っ赤に血走らせ、雄叫びをあげながら探し回っておりますと、ちょうど、京の都の大通りの上空にさしかかったとき、天狗が、山伏の姿になって、人々にでたらめのお札を売りつけているのを見つけました。

「さーあ、お立ち会い、これは身に付けているだけで極楽往生が叶う有り難―いお札ですぞ、先着十名様、早い者勝ち、さあさあたっぷりとお志を…おありがとうございます」

龍は、「天狗め、見つけたぞ」と言うや否や、天空から疾風のごとき速さで舞い降り、鋭い爪のついた後ろ足で、天狗の後頭部にバコーン! 回し蹴りを食らわした。不意打ちをくらった天狗は、何が何だか分からず地面にドサーーッ。目を白黒させながら、羽の折れたきたないトンビの姿で気絶してしまいました。

 こうして、見事天狗に仕返しを果たした龍は、日本国中に恵みの雨を降らせながら、意気揚々と讃岐国へと帰っていきました。「天狗にさらわれた龍」の一席。

(『今昔物語集』(巻二十・第十一話)より)

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