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3分講談習作「アマビエ」(テーマ「自由」)

 2020年、コロナ禍で一躍有名になりました、妖怪「アマビエ」。当初は「アマエビ」と間違われるほど知名度が低かったわけですが、今や日本全国で知らない人はいないのではないかというほどの人気ぶり。アマビエお守り、アマビエ缶バッチ、アマビエクッキーにアマビエTシャツなど、さまざまなグッズが売り出され、あのハローキティとコラボした「アマビエキティ」まで登場するという、ゆるキャラ顔負けの快進撃をみせております。
 鳥のような、魚のような、皆さんもよくご存じの、何とも憎めない表情の横顔が印象的なアマビエですが、この妖怪が最初に現れましたのは、今から200年ほど前の江戸時代のこと。肥後国―現在の熊本県での出来事でございます。
 肥後国の海岸沿いのとある村で、「毎晩、海に光るものが出る」という噂が広まりました。あまりに騒ぎが大きいので、土地の役人がその正体を確かめようと視察にまいりました。明かりも何もない、真っ暗な海岸に立って見張っておりますと、沖合のほうに突然、ぴかぴかと光る大きなものが浮かび上がり、すーっと海岸を指して滑るように近づいてきます。「出たな、あやかしのものか」と、刀の柄に手を掛けて身構えておりますと、役人の目の前に来てぴたっと止まった。

 その姿は、鳥のように前に突き出たくちばし、目は水晶のようにキラキラとして大きく、頭には長い毛がふさふさと生えている。身体は全面鱗で覆われおり、半魚人のような有様。役人があっけに取られておりますと、その不思議な妖怪、「私は、海の中に住む”アマビエ”というものである。今年から六年の間は、日本国中、どこも豊作であろう。しかし、もしも悪い病が流行したときには、早々に私の姿を写し、人々に見せるがよい。そうすれば、病の流行はすぐに収まるであろう」と、このように言われましたから、役人は慌てて懐から紙と矢立を取り出し、その姿を写し取りました。写し終わりますと、アマビエは満足げに、すーっと沖合へ戻り、海の中へと帰って行きました。
 この時、役人が写しましたアマビエの絵は、江戸幕府への報告書にも写され、やがて、瓦版を通して、江戸市中の人々の間にも広まりました。その瓦版の1枚が、奇跡的に現在に伝わっているのでございますが、200年の時を経たこの令和の時代に、あちこちにその姿が飾られるようになろうとは、アマビエ本人も想像だにしていなかったのではないでしょうか。

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