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3分講談「日秀上人御一代記② 大蛇退治」(テーマ:自由)

室町時代、紀州・那智勝浦の日秀上人は、「補陀落渡海」へと出立いたしました。小さなくり抜き船で大海原へとこぎ出すこの荒行は、さながら、死出の旅路でございました。一度は船の中で意識を失いましたが、次に目を覚ましたのは、穏やかな波音が響く、真っ白な砂浜の上でした。

「観音さまが浄土へとお導き下さったに違いない、有り難や、有り難や」

と、心の内で唱えて、砂浜に横たえた身体を起こそうといたしましたが、全く力が入らない。それもそのはず、もう何十日も飲まず食わずだ。その時、背後から、人の気配が近づいてまいりました。何か言っておりますが、よく分からない。そうするうちに、また目の前が暗くなり、ふっと意識が遠のきました。(①)

次に目を覚ましたのは、小さなあばら屋の布団の上でございました。旁らには若い男が一人、心配そうに日秀の顔をのぞき込んでいる。男が用意してくれた水を飲み、粥を食べた日秀は、ようやく落ち着きを取り戻しました。

「どうもありがとうございました、おかげさまで、命を長らえました」

一生懸命、礼を言うのだが、どうも男には通じていないようだ。男も、しきりに話しかけてくるが、何を言っているのか、全く分からない。(①)

実は、日秀が漂着したのは、観音浄土ではなく、琉球でございました。現在の沖縄県名護市の金武町(きんちょう)富花(ふっか)というところ。当時琉球は、中国の冊封下で、独自の文化を築いておりました。江戸時代に初めには、薩摩藩の支配下に置かれますが、この頃はまだ、本州ともほとんど交流がなかった。日秀上人は、自分がどこに流れ着いたのかも分からぬまま、地元の人々の助けで、日に日に元気を取り戻していきました。不思議なもので、時間が経ちますと、何となくお互いの言っていることも通じるようになってくる。(①)

そんなある日のこと。村の人々が、沈痛な面持ちで日秀の元を訪れました。

「あなたさまは、海の彼方からいらした貴いお坊さま、折り入ってお願いがございます。実は、村の真中にある洞窟に大蛇が棲みついていて、夜になると作物を荒らし、娘や子どもをさらって食べてしまうのです。どうかあなた様の法力で、この大蛇を退治してくださいませぬか」

命を助けてくれた村人たちからのたっての願いですから、日秀は二つ返事で引き受けました。

日が沈んだ頃おい、大蛇が棲むという洞窟の前までやってまいりました。松明で照らしても真っ暗で何も見えない。が、相当深いところまで続いているようだ。洞窟の奥からは、ヒューという不気味な音とともに、生臭い風が入り口に向かって吹き出しています。しばらく様子をうかがっておりますと、突然、ゴゴゴゴ…地鳴りがしたかと思うと、鎌首だけでも七尺はあろうかという大蛇が姿を現しました。(①)

目は日月のごとく、口は朱をさせるがごとく(②)、舌は紅の袴を打ち振るに似たり(⑧)

日秀の姿を認めるなり、大きな眼でギロっと睨みつけた。カエルで無くても身がすくみそうなところですが、日秀はびくともいたしません。大蛇が大口を開けて飲み込まんと襲いかかってまいりましたときに、懐から取り出しましたる一体の観音像。それを大蛇に向かって突きつけ、口の中で真言を唱えますと、大蛇はまるで金縛りにでも遭ったかのように、それ以上近寄ることができなくなった。日秀は観音像をかざしたまま、じり…じり…じりじりじり…と洞窟のほうへと追い込んでゆく。大蛇はなすすべもなく後ずさりして、とうとう洞窟の中へと戻ってしまいました。すかさず観音像を入り口に置いて結界を張りましたから、もう二度と大蛇が村を荒らすことはありませんでした。(①)

見事に大蛇を封じ込めた日秀は、この後、神人(かみんちゅ)として崇められるようになるのですが、その話はまた別の機会に申し上げます。

※○数字は、張扇を叩く回数を示す。
・参考文献『金武町誌』(1983年、)

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