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3分講談「貴船明神の由来(後編)」(テーマ:節分)

平安時代の中頃。京都・鞍馬山の奥に住まう鬼の娘に恋をした、中将定平という一人の貴族。娘と夫婦の契りを結び、共に鬼の岩屋から逃げだそうとしたのだが、あと一歩というところで、娘が鬼に―つまりは実の父に食べられてしまった。心臓が縮むような恐ろしさの中、ただ一心に神仏を祈り、命からがら都へと戻って参りました。(①)

それからというもの、色好みで通っていた定平もすっかり大人しくなった。しかし心の中では今なお、鬼の娘のことが忘れられずにおりました。「夫婦のしるしに」と、娘が裂いて渡してくれた着物の端布を、肌身離さず持ち続けています。

そんなある日、定平の叔母が懐妊をいたしまして、やがて十月十日、元気な女の子が生まれました。愛くるしい赤ん坊でしたが、どういうわけか左手の指を堅く握ったまま開くことができない。叔母は五体満足でない赤ん坊を忌み嫌ったものですから、定平の屋敷に引き取って育てることになりました。(①)
それから十三年が経ち、赤ん坊は美しい姫君へと成長しましたが、定平はその姿かたちを見るにつけ、悩ましい思いに囚われておりました。と申しますのも、姫君は、あの鬼の娘と、瓜二つだったのでございます。「今生で結ばれなければ来世で必ず」と誓い合った仲ではありましたが、生まれ変わって自分の元に戻って来るなど、そんなことが有ろうはずもない。悶々と過ごしておりました、ある冬の日のこと。

物語を読んでいた姫君の左の袖口から、はらりと何かが落ちた。見るとそれは、着物の端布だ。定平の持っているあの鬼の娘の形見と、色柄も全く同じものでした。定平が驚いて姫君の手を取りますと、なんと、生来堅く握られたままであった左手の指が、きれいに開いている。
「やはりそなたは、鞍馬の鬼の娘の生まれ変わりであったか」
姫君もはらはらと涙をこぼし、
「お懐かしゅうございます。三世の夫婦の契り、ようやく果たすことが出来ました。」
と、開いた左手で定平の手を握り返す。こうして二人は改めて夫婦となり、仲睦まじく暮らすようになりました。(①)

 人の口に戸は立てられぬと申します通り、二人の数奇な巡り逢いの噂は、瞬く間に広まり、ついには帝の知るまでなりました。しかしやっかいなことに、噂はやがて京の都を通り越し、あの鞍馬山の鬼の耳にも届いてしまった。
「転生してまで人間と夫婦になるとは不届きな奴。二人もろとも、食い尽くしてくれるわ!」猛り狂った鬼は、体中の毛という毛を逆立て、今にも山を下りんとする勢いだ。(①)
その様子を見ていたのが、鞍馬の守護神である毘沙門天でございます。毘沙門は鞍馬寺の別当の夢枕に立ち、「来る節分の夜、鞍馬の岩屋から鬼が都に乱入する。岩屋の入り口を塞ぎ、炒り豆を鬼の眼めがけて投げれば、鬼はきっと退散するだろう」と告げました。
別当が慌ててこのことを帝に奏上いたしますと、帝はすぐさま、腕利きの陰陽師と武士数十人を鞍馬山に向かわせた。岩屋の穴を塞ぎましたが、鬼は天井を突き破り、八万四千もの眷属を従えて、都めがけて雲霧のごとく飛んでゆく。陰陽師たちは呪文を唱えながら、空を覆い尽くさんばかりの鬼の群れを目がけて一斉に炒り豆を投げつけた。すると豆はまるで意志を持つ生き物のように、鬼どもの眼に命中。「ぎゃああああ」雷鳴のごとき叫び声と共に、たちまちにその姿は空の彼方へと消え去ってしまいました。(①)

 こうして命助かった中将定平と姫君は、末永く幸せに暮らしました。そして、亡くなった後には貴船の大明神となり、今でも人々の恋路を守り続けていると申します。「貴船明神の由来」という一席。

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