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3分講談「雪と座頭」(テーマ「雪」)

 

 江戸時代の半ばごろ、越後国に、鈴木牧之という豪商がおりました。俳句などの文芸にも造詣が深く、地元では名の知られた文人でもありました。若い頃、反物を売りに江戸へ出掛け、雪深い越後での生活を人々に語って聞かせたのだが、どうにも話がかみ合わない。「毎日雪見酒ができるなんて、風情があるねえ」などとのんきなことを言われるものですから、牧之だんだんと腹が立ってきた。「風情なんてものじゃあない。雪国の厳しさを何もわかっていないのか」。それなら自分がその実態を書いて、出版をしてやろう。そうして書かれましたのが、後に江戸でベストセラーとなりました『北越雪譜』という随筆集でございます。本日は、その『北越雪譜』の内より、こんなお話を一席、申し上げます。


ある年の大晦日。牧之は、俳句仲間の兎角とともに、句会の主の元へと挨拶に出かけました。主の家では、奥方と娘が、酒や肴を用意して出迎えてくれました。旧暦では、大晦日は節分の日でもあります。ただ、江戸時代の越後では、まだ節分がめずらしかったとみえまして、奥方が牧之にたずねました。「江戸では、大晦日の夜に鬼を払うそうですけれど、鬼なんて本当にいるのかしら」。すると隣から、すっかり酒の回った兎角が、「いるともいるとも」と上機嫌で答えます。「青鬼・赤鬼、白鬼に黒鬼、…ほれ、あの天窓から、今にも鬼がのぞくやもしれませんぞ…?」
「またそんなばかなこと」と思いながらも、皆が思わず天窓を見上げましたそのとき、バリバリっと大きな音がしたかと思うと、天窓から大量の雪がザザザザ! そのあとから、真っ黒な人型のものがドサーーっと落ちてまいりましたから、たまったものではございません。女たちはきゃーっと悲鳴を上げて顔を覆ったまま、腰を抜かしてへたり込んでしまった。男達は思わず立ち上がったものの、足がすくんで動くことができない。

すると、雪の中からその人型のものがむっくりと起き上がり、顔を上げました。それを見たこの家の主、「や、お前、福一ではないか」。福一といいますのは、この家にいつも来ております按摩の座頭でございます。「だんなさま、これはとんだ失礼を致しました。ちょうどこちらへ、暮れのご挨拶にとうかがうところだったんですが、あいにくのこの大雪。足を踏み外したと思いましたら、お宅の天窓を蹴破ってしまいました…面目次第もござりませぬ」「それは構わんが、お前、怪我はないのか」「おかげさまでこのとおり、どこも痛うはござりませぬ」。


鬼ではなかった、よかったと、一同胸をなで下ろしました。しかし、余程怖かったのか、収まらないのはこの家の奥方です。「なにがよかったものですか。心の臓が止まるかと思いましたよ。まったくこの大晦日に験の悪い。福一、お前の顔など見たくありません、お帰りなさい!」大変な剣幕です。
しかしこの福一は、頭の良い男でした。「いや奥方様、しばらく、しばらく」。そして何やらさらさらと和歌を詠み、紙に書かせました。その和歌というのが―、


 恵方から 福一といふ こめくらが 入りてしりもち つくがめでたさ

「縁起のよい方角から、福一というつまらないめくらが入ってきて尻餅をついたのはめでたい」。何がめでたいかと言いますと、「こめくら」には「米の倉」、「尻もち」には「餅」が掛詞になっているんです。福一の「福」、「米倉」、「餅」という縁起のよい言葉を詠み込んだとっさの機転に、奥方の機嫌もすっかり直り、その場はめでたく、丸く収まったということです。「雪と座頭」の一席。


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