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アダルトチルドレン 母を許したけれど、、、


こんばんは!三連休最終日は晴天でしたね☀️
今日はのんびりゆっくりしてました☕️


今回はアダルトチルドレンについてのお話です。
アダルトチルドレンとは、子ども時代の家庭環境や親の行動、例えばアルコール・薬物依存、心理的・物理的虐待、感情的ネグレクトなどに起因する心の傷を持つ大人をさします。
私の場合は暴力等はありませんでしたが、心理的な虐待だったのかなと思います。
もっと酷い方だとそれはアダルトチルドレンではないよとなるかもですが、比べることでは無いかなと思うので失礼致します🙇‍♂️

私は長女で母と父にとってはじめての子供でした。
父は仕事が忙しく単身赴任中や出張が頻繁で休日家にいればいいねという程でした。
母は専業主婦で、ADHDグレーゾーンです。(最近分かりました)
母も自分の母親から心理的虐待を受けており、
母にすべてを決められ逃げるように家を出たそうです。
その為、なれない中の母の育児のお手本は悲しくても自分の母親になったそうです。当時はとにかく必死だったと言います。
よく頑張ってくれてました、一生懸命育児や家事をして、美味しいご飯と綺麗な家を維持いてくれていました。
しかし、食事の躾が厳しく泣くまで怒られ泣きながら食べる妹を横目に食べてたり、父の悪口をずっといっておりあまりにも言うので「離婚しなよ」というと「貴方たちがいるからできない」と言われていました。
今から考えればそんなに大したことはないのですが、自分がいるから母は自由にもなれず私がいなければいいんだと本気で思っておりました。
私が繊細な人間だったというものあると思います。
常に頑張ってた母の機嫌を伺うように私は良い娘、よい姉を演じていました。
いつしか、小学校高学年で希死念慮が浮かぶようになりました。

大人になりうつ病になった頃に、母が自分の幼少期の話をしてくれました。
わたしより辛い幼少期を過ごしておりました。
仕方がなかったんだ、そう思いました。
幼少期の楽しい思い出があるのに、辛い思いがあるのが申し訳なくおもってしまいました。
それも変な話ですが、、、。。
母を許そうと思い、今ではとっても仲良しです。

しかし、少し嫌なたとえをしますが、昔学生時代にいじめられた経験があり、月日がたち、もういいや楽しい事もあったし、、となってもやはりいじめられた記憶はなくなりませんよね。その時受けた傷たしかに残ります。
そんな感じです。母とは今ではとっても仲良しで色んな相談や遊びにも行きます、でも、やはり悲しかった記憶もある訳でそれによって人の機嫌を伺ってしまう自分もいるわけで。
いつまでも幼少期のせいにしたくないけれど、、
となんとも言えない気持ちが常にあります。
ふとした時に幼少期に傷ついた自分がひょこっと頭を出し泣いて私に訴えかけるのです。
「私を無視しないで!!わたしは愛されてる!?
生きていいの!?」と泣き喚いて私を揺さぶります。

ひたすら向き合って抱きしめてあげるしかないのでしょうか?
カウセリングにいくのがいいのかな、今度の障害年金がとおればカウセリングを検討しようと思います。

いま悩んでること10年後にはそんなこともあったなと思うのかな、そうなったらきっと全然別の事でまた悩んでる自分が想像出来ますね、、(笑)

なんだか、まとまらない文でしたが、少し文字にしたくなったので。。
では、また👋

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