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悲しみに敏感な嫉妬心

「マウント」を取られていると感じることは人によって日常茶飯事だ。
「マウント」にはさまざまな種類があるが、とりわけ私は「悲しみマウント」に敏感である。

どれくらい敏感であるかというと、発言者は絶対にマウントを取ろうとしているわけではないことが分かり切っているような小さな出来事、
例えば「疲れた」「寂しい」「寝られない」などの日常の中の小さな弱音に対してなんだか腹を立ててしまう程度に敏感なのである。
平たく言えば他人の悲しみに対して被害妄想が強い。

別に育った環境云々は関係ない。
むしろ育ちの薄幸さを悲しみの起源とする人たちにがむしゃらに腹を立ててしまうくらいだ。
とにかくいつも悲しそうな顔が上手な人を見かけるとつい気分を害してしまう。

完全に嫉妬だ。
私は上手に悲しそうな顔をする人に嫉妬している。

みっともないとは思うが、思ってしまうことをなかったことにはできない。
そうして同じような感覚の人がいないか、度々ネットサーフィンを行うが大抵ヒットする記事は「悲しみアピールが激しい友人」や「マウントを取る人への対処」など、だれがどう見ても相手がなかなかのマウンターだろうというケースである。

残念ながら、まだ私と同じ感覚の記事には出会えておらず、この嫉妬心との付き合い方も分からないままなのだ。

私はこれからも好いている友人に対してくだらない嫉妬をしなければならないのだろうか。
私に対して温かな言葉をかけてくれる人に対して「ヒーロー役を擦り付けようとしてるんでしょ」などと幻とも言えない被害妄想をしなければならないのだろうか。
友が辛そうなとき干渉しないだけならまだしも「そうやって悲しい顔見せてヒロインぶっても私はなにもしないよ」などと、棘のある言葉で境界線を引き続けなければいけないのだろうか。

いい加減、悲しみに嫉妬しないようになりたい。

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