娘が小3で支援級に行くまで①

簡単に娘の生育をお話します。
2歳で2語文が出にくかったことから、小児科のかかりつけ医に「市の言葉の教室」を勧められます。ただ、この時は私はフルタイムで働いていましたし、こちらの言っていることはわかっているようなので、そのまま様子をみました。神経質な、眠りにくい子でした。

次女誕生後、3歳半健診(?)市の健診で、「赤ちゃん返りに悩んでいる。」と話をし、医師から保健師面談を勧められました。すでに歯科指導などで何時間も待った後。動き回る娘の後を付いてまわることに辟易した私は、「何かあれば相談に来ますから」とぐったりと会場を後にしたのでした。

5歳頃。
何だか癇癪が収まりません。一度スイッチが入ると大変。そして、保育園でも保育士さんばかりと遊びたがって、慣れない娘。1人でいることが多かったようです。

重い腰を上げ、一度市の療育に相談。
新版K式テストでは、凸凹はあるものの、まぁグレーゾーンと言った感じで様子を見ることになりました。その後、個別のSTや、就学に向けた少人数(5人程度)のSSTをやりました。娘は普段働いている私と2人で出かけられるのが嬉しく、落ち着いた様子でした。
担当STさんとも相談し、「普通級で大丈夫そうですね〜」とのことで、就学移行支援のみ利用。

ということで、普通級に行った娘。
最初は、頑張って登校班で行き、学校の近くまで迎えに行く日々。学童も私がうつ病ということで、傷病利用していました。

そんな4月の末。
支援コーディネーターの先生から電話があり、
「実は教室から(苦しくて)出ていってしまう」
「昇降口で泣きながら身体を掻きむしっている」
「授業中に奇声を発してしまう」
などの相談がありました。普通に学校に行って帰ってると思っていた、私には寝耳に水でした。(続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?