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第七回 湘南台「まるとも」

「おめーに食わすタンメンは、エボシ岩盛りだ」
の巻

(2022年8月)

霞ヶ関駅A6出口、12時。
昼メシを求めてワイシャツ姿のお役人さんたちが歩く官庁街で、ぼくとマコトは、マコトが20年近く乗ってきた赤いターボ車のなかにいた。
やがて、出口から東京駅と間違えて降りてしまったような、気張ってカラフルに決めたお上りさん然とした大川さんが現れた。
なんと、手を振りながら走ってくる。
おいおい、少しの遅刻なんかいいから、また転んで骨折しないでちょうだい。
「ごめん、ちょっと遅れたー。でも、なんでクルマなの? どっか行くの? 農林水産省の食堂でタンメン食べるんじゃないの?」
そんな変化球は、第七回ではまだ早い。
「横浜方面に行くって、候補店もメールしておいたでしょ」
「あれは別のときだと思ってた。だったら、なんで霞ヶ関なの?」
マコトが答える。
「大川さんの足のこと考えて、南千住から乗り換えのない場所で、なおかつ高速に乗りやすいとこを選んだの」
「なのに、走るとは。やめてよ。心臓、痛いわ」
「うん、退院してから、いま初めて走った。走れたね」
まあ、無事だからよし。

官庁街から湘南へ。
ドライブ、スタート。


クルマ発進。ブオーン。首都高へイン。
「わーい、ドライブだ。横浜行くんだ。やったー」
「てか、正確には藤沢ね」
「そのあと、茅ヶ崎」
「それって、サザンのなんとか石のとこ?」
「エボシ岩ね」
「あたし、サザンって聴いたことないんだよ」
「どうやって、この日本で生きてきたんだ」
「でも、あれは知ってる。♪いまなんじ〜、そうよだいたいよ〜」
「♪そうねだいたいね〜、だけど」
「♪いまなんじ〜、まったくわかんない〜」
「♪まだはやい〜、だよ。全然違う」
「あははー、似てるじゃん」
サザンは知らなくても、十分はしゃいではいる。
「あたし、ユーミンも知らないんだよ。飛行機雲以外。あの歌は、あたしのライバルが好きで、なんかむかついて聴いた」
決して褒め言葉ではなく唯一無二の存在の大川さんに、ライバルがいたなんて。どれだけおバカなひとだったんだろう。
「そういえば、あったね。ハゲが毎日走ってる歌が」
「もしかして、爆風スランプのランナー?」
どうして、そこへ飛ぶのか。わかるぼくも、エライ。
「そんなの。中野サンプラザだっけ」
「そっちは実在のもうすぐ取り壊しになる建物。歌ったのはサンプラザ中野」
「あー、逆か。あたしが聴いてたのは、なんだっけ、ローリー寺西がいたやつ」
「すかんち」
これは逆から読まないように。
「あと大槻ケンヂがいたやつ」
「筋肉少女帯」
歪んだ青春だったに違いないセレクトだ。オサレなユーミンワールドからは、億万光年離れている。ベタベタのサブカル。
「あと、♪リンダリンダリンダリンダ」
歌詞は間違いようがないが、メロディーはかなり違う。それにぼくやマコトより年上でブルーパーツが青春って、年代が合わないだろ。生涯青春ってやつかい。
「俺、ブルーハーツ嫌い。あんなのパンクじゃない」
運転手のマコトが口を挟む。マコトはパンクと歌謡曲にはうるさいのだ。いるよね、こーゆー偏屈ジイさん。
「なんだっけ、いまは?」
「クロマニヨンズ」
嫌いなら、確認しなくてもいいのでは。
はしゃいだ空気で、クルマは高速を降りる。
「ここって、湘南?」
「大きい意味では」
「あたし、湘南に思い出ないんだよねー」
だろうね。サザンもユーミンも無縁だったんだから。大槻ケンヂは来ないだろうし。野方でなら、何回か見かけたけど。
「唯一あるのが、大原の交差点」
「それは鎌倉と言ったほうがいいけどね」
「あそこ、いつも渋滞してたじゃん。そんで、夏の暑い日に付き合ってたオトコとふたりで、棒アイス売り歩いたことがあるよ。何日かやったなー。儲かった」
渋い思い出だ。地回りにど突かれもせず、ご無事でなによりでした。
話に夢中になってナビの指示を聞き逃したりで、予定より30分遅れで、目的の「ラーメンまるとも」に到着。

さっきまではしゃいでいたのに、
なぜか毅然たる顔つき。


街道沿いの店は一見、潰れかけたドライブインのようだが、駐車場はほぼ満車で、店前には行列ができているではないか。
いつもと違う人気店とは知っていたが、これほどまでとは思わなんだ。
湘南の陽射しを浴びて、最後尾へ。壁にはテレビ放映されたときの写真が、ベタベタ貼ってある。ここは八百屋さんのやってるラーメン屋という、メディアが扱いやすい「売り」を持っているのだ。
早速、大川さんが前のおじさんに話しかける。
「みんな、なに注文するんですか」
「うーん、タンメンとか」
ほれ、と胸を張るぼく。こんな会でも、ちゃんと下調べしてるんです。
「よく来るんですか」
「いや、たま〜に。今日は仕事帰りで、ちょっと寄り道しました」
サボりを咎められたように、おじさんはやや恐縮する。大丈夫ですよ、ぼくたちなんか人生の大半サボってきましたから。

野菜をバックに
有名ラーメン店店主のポーズ。


列が進み、冷房の効いてるゾーンへ。
段ボールに入れて野菜が売られている。100円のキュウリは人気で、残り一束。
しかし客席のほうが圧倒的に広くて、開店当初は知らないが、いまではラーメン屋が八百屋さんもやってるといったほうが正しい。
きちんと丁寧に断りを入れて、ひとり客から案内していく。ぼくたちには奥の広いシートが用意された。
テーブルの上には、メニューがどさり。豊富だ。売ってる野菜の数より、ずっと多い。

どさり。


「俺、タンメンとギョーザ」
言うと、マコトはトイレにさっと消えた。漏れそうだったのかな。
迷う。タンメン以外、どうするか。マコトの手前、ビールは遠慮するか。
しなかった。
「タンメンみっつとギョーザひとつ。あとは」
大川さんがカウンター客の手許をにらんで、
「チャーシュー」
すると店主と思しきいかついおじさんは、ニコッと笑顔になる。
「チャーシューも、おいしいですよ」
八百屋さんだが、ラーメン屋さんだから、チャーシューがおいしくても不思議はないのだ。
ビールと水で乾杯して、ギョーザをつまむ。

ドライバーは水、
乗客は濁り泡水。
酢胡椒か酢辣醤か、
それが問題だ。


大川さんが酢と胡椒でタレをつくると、マコトが顔をしかめた。
「なに、それ」
「いまはこれで食べるひとも多いよ」
ぼくの説明にも、納得の様子なし。ジイさんは新しいものに不寛容なのだ。でもおいしいものには目がないから、ギョーザを食べたら顔の筋肉が緩んだ。

店主イチオシ。


おじさんの言葉通り、タレの染みたチャーシューもおいしい。もっと注文しようかなと思ったら、
どーん、どーん、どーん。
山盛りてんこ盛り二郎盛り、富士山エベレストいや湘南だからエボシ岩盛りか。
山頂にキクラゲをあしらってあるので、ぼく以外のお下劣コンビにはFカップに映ったらしいタンメンがやってきた。
当然だが、野菜まみれ。麺は見えず。
しかし、ここで怯んではタンメン会ではない。ただの暇な年寄りの集まりになってしまう。(実態はそうだが)

湘南富士。
湘南アルプス。


「いただきます」
わしわし。食う食う。ずるずる。飲む飲む。わしわし。食う食う。
残念ながら、ぼくではない。マコトの食べっぷりがすごい。部活帰りの高校生どころか、朝稽古あとの相撲部屋のごとし。還暦を越えてなお、明らかに進化している。胃袋だけが。
負けてなるかと、ぼくもいく。
わし。食う。ずる。飲む。わし。食う。
「麺、おいしい」
大川さんが声を上げたのは、かなりあとのこと。やっと、野菜の迫力にうまく対抗する、中太麺にたどり着いたらしい。その頃には、マコトの丼は残量35%くらいになっていた。
マコト、難なく完食。ぼくも、なんとか完食。大川さんは、うーむ、うーむ、うーむ、無理。
さすがにマコトは水を飲み干し、食道の詰まりを流し込む。
「すみません、お水ください」
「はい、ピッチね」
おじさんの返事に、ん?
マコトをビッチ呼ばわりなら正しいし、音楽的にはピッチの狂ったやつではあるが。
なんと、おかわりの水はピッチャーで出てきた。どんだけ水飲ませるつもりですか。クルマで来てるジイさんに。
タンメン会最低の礼儀として、大川さんはおじさんに平謝りで許しを乞い、なんとか店をあとにした。

登頂断念。


さて、いつもとは違い、今回はもうひとつ目的店が茅ヶ崎にある。そちらに向かって、クルマをゴー。
17時開店を16時に繰り下げてもらったが、まだ時間はある。ならば、というか、みんなコーヒーでお腹をこなしたい気分だし、喫茶店に寄ろうとなった。
「こんな田舎にあるかね。北区みたいじゃん」
悪口叩いていた大川さんだが、茅ヶ崎駅が近づくにつれ、口調に変化が。
「なんか都会になってきた」
「がっぽり稼いでデザイナー引退したおしゃれオヤジとかがやってる、カフェがあるんじゃない」
ぼくの予想通りの店も散見されてきたが、まずは目的地のある駅の反対側に出ようとなった。ところが、線路を越えるのにひと苦労。ずーっと先までいって、ようやく踏切越えて、なんだかんだで、16時ちょい前にやっとクルマを停めることができた。
これなら、喫茶店はパス。

サザンサブレとやぶれかぶれ。


停めた駐車場横の店の壁に「サザンサブレ」の文字発見。おー聖地だのーと思ったら、ぼくらがいるのはサザン通りなる道だった。
大川さんと違い、去年の冬には桑田佳祐ライブにも行っているサザンファンのぼくだが、ちょっと気恥ずかしくなってきた。
が、このサザン通りに目的の店はあったのだ。
レコードバー「五月野」。

マコトより開店祝いを贈呈。


まだ開店二週間。かつてぼくも原稿書きまくっていた「スコラ」なる雑誌の編集だった、タカハタケくんが始めた店だ。
おやおや、おしゃれな店だぞ。
「ちーす」
「お早いお着きで」
なんか、店のひとモードになっとるのが、面映ゆい。
カウンター席のみで、荷物置き的にソファがあり、奥にはDJブース。ゆったりと空間を取っていて、レコード棚が奥にあることもあり、すっきりしている。
そして、壁には、撮影者本人から贈られた、サザンの「NUDE MAN」の写真が。
コーヒー注文して、大川さんのためにサザンのレコードをかけてもらう。サザン通りで初サザンの贅沢三昧。

すっかり湘南オヤジ。


大川さんの感想。
「桑田佳祐って、天才だね」
今更、かい。まあ「村上春樹って文章うまいね」って言ってのけるひとだからなあ。40年以上かかったけど、ひとつの気づきがあったのだから、長生きした甲斐はあったね。
その後、店をやってる大川さんは備品のチェック、元スタジオ経営者のマコトはオーディオチェックを始め、ぼくはひとり正しくハイボールを傾けたのだった。
「ところで、店の名前はどこから?」
「カーティス・メイフィールドのメイフィールドを日本語化したんです」
「じゃ、あたしの店と同じだ」
「大川さんでビッグリバーとは、転換が逆だけど発想は同じですね」
大川さんがカーティス・メイフィールドを知っているかはともかく、メイが五月で、フィールドが野だとはわかったようだ。
「また来まーす」
「いや、ここ結構遠いんだよ」
「クルマで来たからわかんなーい」
安請け合いする大川さんをたしなめ、茅ヶ崎をあとにした。
「茅ヶ崎に住みたいかも」
独自の土地査定にうるさい大川さんのなかで、湘南の評価は高まったようだ。大川さんにおしゃれカフェやられても、困るけど。
帰路、レコードの音のよさを語っていたら、大川さんが一言。
「あたしも中古レコードとか買いたいんだよ。なんだっけ、ユニクロみたいなとこ」
「ディスクユニオンのことかいな」
「あー、それ。どっちもユがつくじゃん」
ユだけでなく、ユニまで一緒だし、クもついてるが、だからってその間違いはなんじゃい。
「これ、書かないでよ」
「書くよ。書くなって言ったのも書く」
はい、書きました。
その後、歳を取ると説教臭くなるのは、なぜか。ジイさんのウザさとバアさんのウザさは違うなど、高齢化社会に潜む問題を自嘲的に語り合ったが、割愛。
さらに最近の若者は旅をしないって話から、海外旅行の話になったら、マコトが訊いてきた。
「なんだっけ、貧乏な旅行の案内」
「地球の歩き方」
「それみたいなの書いた小説」
「沢木耕太郎の深夜特急か。小説じゃなくて、ノンフィクションだけどな」
「ああ、そうなんだ」
「で?」
とくに感想なし。がくっ。
かわりに大川さんがつなぐ。
「インドの写真、よかったな」
「あーメメント・モリのひと。えーと名前は」
「メメントなに? そんなんだっけ」
「死を想え。藤原新也」
「おーそのひと。あっちのほうが、すごいなと思った」
「たしかに。でもぼくの行ったインドは、あんなんじゃなかった」
「あー、それそれ。あたしもいろんなひとにそう言ったよ」
意見が合ったというより、なんかあたしの勝ちって感じで言われた。大川さんはおバカキャラに不満を持っているようです。でも嘘は書いてないんだよなあ。小説じゃなくて、ノンフィクションだけどなー。

「また来まーす」
(その後、行ってなーい)


最後は大川さんの店「ビッグリバー」に寄り、置いてあったマコトはレコード、ぼくはCDを回収して、ようやく解散となったのだった。
そういえば、せっかく茅ヶ崎まで行ったのに、海を見ようともしなかったな。まあ、いいか。もう、海風に当たるまでもなく、しょっぱいジイさんバアさんなんだから。

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