【青春の思ひ出…閃光ライオットって復活していたのね!】

ラジオをつけたら、東京FMのSCHOOL of Lock!だった。
私はませた子供で、小学生のときには自前のポケットラジオがあり、その時間帯はヤマダヒサシがDJをやっていた。
その流れでちょいちょい聞いていて、ガッツリ高校生時代にハマった。
perfume→アジカンを知ったのもこの番組だし、閃光ライオットに出ていたねごとのHP(当時はケータイから作れるHPがありましたな!懐かしいそれですよ!それ!)にコメントして返信もらったりして、少しずつロックにハマって行った。

閃光ライオット、第一回は素晴らしかった。
グランプリは都市圏ですでにセミプロレベルで活躍していた若者ではなく、北海道の、それもFMネット局の放送が入らないような地域(今はコミュニティFMとかあるんだろうけど…)から出てきた実力派バンドだった。
ねごともたしか高校生で、ライブハウスでセミプロのような活動はしていなかったように思う。

ジュブナイルボートなんて勢いで生きていたような人たちで(久能さんとヤマシゲ校長との熱いキスは笑った)、そんな野生の才能を認めてくれるような場だったなあ〜と、今になって思う。

しかし、私もバンドをやりつつも歳をとり、そのうち社会人になった。(そもそもが、閃光ライオットに出るにはギリギリ過ぎてアウトな年齢だったけど)

閃光ライオットも数回やったら「未確認フェス」みたいな名前に変わって、会場もビッグサイトじゃなくなったように記憶している。特にフェスは会場含めて一体になるもので、会場の変更はおそらく来る客層を変えてしまったのではないか?

さらにしばらくしたら、そのフェスの名前も耳にしなくなってしまった。


で、たまたまつけたラジオで懐かしいフェスの名前である。
一気にあの日の想いがフラッシュバック。
ラジオの演者は変わっても、掛け合いの雰囲気は不思議と変わらない。あのほとんど無いんだけれど、田舎からロックフェスのステージを夢見た青春の気持ちはずっと奥底にあったらしい…。

最近、高校生の時の知り合いがニュースにでていて(良い方のニュースね!)、ガッツリ年相応の女性になっていたのを思い出して、気持ちは若くても何か確実に衰えていく無情さを実感せざるを得なかった。

そんな中でもずっと第一線で活躍し続けているバンドが、この間のロッキンオンのタイムテーブルに並ぶさまを思い出した。彼らは、やっぱりレベルが違う生粋のアーティストだなと思うし、そんな彼らに感謝をしなければならないだろうと思う。

彼らがまだあの頃の曲を歌い続けてくれるから、私の青春は過去の黒歴史にならず、今も進行して蓄積する淀みの1部としてギリギリ保っているのだ、…と。


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