もう君にしてやれることは何もないのに…
先日、銀座の喫茶店に行った帰り道、父から「マヒルが永眠しました」と連絡がありました。
白書(まひる)は私と暮らしていたロボロフスキーハムスターで、入院を繰り返しするようになったため、実家で世話をみてもらっていました。半身に麻痺があり、ずっと家にいる父がみてくれていたのです。
いのちの源へと還っていったんだね
メッセージと一緒に、父がつくってくれたお墓の写真も添えられていました。
今まで几帳面に世話をしてくれて、私は安心して任すことができたし、こうして白書を看取ってくれたことの御礼の電話をしました。昨日、父からごはんを食べないと連絡があり、よく様子を見て伝えて欲しいといったその翌日に逝ってしまった白書…
この世に、白書として顕れていたたったひとつの形はいのちの源へと還っていきました。犬猫のようになつくわけじゃない、親密な情が交わせるわけじゃない、会いたさに、体の無理を押しても実家に行っていたわけじゃない。
それでも消えてしまった白書といういのちを思うとき、あぁ、もう会えないんだなと思う…
母も祖母が亡くなったあと、「なんでもっと優しくしてやれなかったのか」と悔いる言葉を口にするけれど、その時の選択や反応は改めることなどできないとしても、それが人の心というものかもしれない。
たった一日…
でもそれは人間の時間。小さなハムスターにとってはもっと長いのでしょう。
もう、何もしてあげることもできないんだね、白書…
生きているものが生きているもののために
翌日は父と一緒に白書に挨拶をしました。
父から、お墓の穴は掘れないから母が早朝仕事に行く前に掘ってくれたこと、母も心配していてくれたこと。母から、父がとてもショックを受けていること、丁寧にお墓をつくってくれたことなど聞きました。父は、私が落ち込んでいないか気にしてか、ポコ太や無垢(他に2匹のハムスターがいる)の元気な写真を送ってくれます。
自分がしたことは言わないけれど、父からは母のことを聞き、母からは父のことを聞きました。ふたりのやさしさが嬉しかった。
お墓は生きているものが生きているもののために建てるんだね。死んでしまったら消えてしまうのに、なんとなく、ここに来れば会える気がして…
ありがとう、白書
街道沿いを延々と歩いたところにあるペットショップでお迎えした白書。炎天下で、雲一つなくて、白昼夢でも見そうな日でした。
顔が白いこともあって、白書という名前にしたのです。
活発で、いつも一生懸命で、愛らしくて。
ありがとう、白書。
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